通知はいらない

「MP戦略」について、以前記事を書きました。
セルフコントロール力との付き合い方 あるいはMP戦略

おそらく、「ラテ・アテンションの節約」もその戦略に加えることができるでしょう。

そのためには、できる限り「通知」と距離を置いておくのがポイントです。

ラテ・アテンション

「毎日、何気なく使っている出費も、積もり積もると大金になるよ」

というのが、「ラテマネー」的発想です。

個人的には、スタバでカフェぐらい好き勝手飲ませてくれよ、とは思いますが、確かに細かい出費でも、それが毎日積み重なるならば、バカにはできない金額になるでしょう。お金は、魔法の財布から無尽蔵に湧いて出てくるわけではないので、使い方には注意が必要です。

同じ文脈で、一日の使用量に限界がある「意志力」についても、同様の注意が必要でしょう。

一回ではちょっとした注意力の支払いでも、積み重なると無視できない影響を及ぼすことが考えられます。

気にさせるもの。汝の名は通知

「通知」機能は、使用者に注意を促す役割を持っています。

「ファボされました」「いいね!をつけました」「新しいメールが届きました」・・・

何かアクションがあるたびに、「こっちを見てよ!」と私に向かって語りかけてきます。それも、さまざまなアプリにその機能が付いています。まるでユビキタス通知です。

でも、作業に集中しているとき、それらの「通知」で本当に必要なものは極小でしょう。皆無に近いかもしれません。

しかし、そうではあっても認知資源は使用されます。注意を向けただけで、微量に消費されるはずです。

さらに、通知先を確認しに行けば、短期記憶にあった作業の内容は失われ、復帰したときに再び短期記憶にその作業内容を入れなければいけません。通知を確認しに行かなければ、「通知を確認しないようにする」という決定のために自我が多少消耗します。

どちらにしても、良いことはありません。

さいごに

というわけで、私はMacにせよ、iPhoneにせよ、「通知」に関する機能はことごとくオフにしています。それで何一つ現実的問題は起きません。

残念ながら「通帳残高」は確認できませんが、このおかげでずいぶんアテンションを節約できている気がします。

合わせて言えば、本当にコアに集中しているときは、通知が表示されても、無意識で無視できるんですが、エンジンが暖まりつつあるときに、通知がやってくると、とたんに破綻します。集中のタワーが、ガシャン、という音と共に崩壊していくのがわかります。

きっと、集中に「入る」ためには、ある種の「静寂さ」が必要なのでしょう。

それはもちろん、「無音」ということではありません。

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