4-僕らの生存戦略

半自動的な「選択」ではないもの

シゴタノ!に書いた記事に、以下のようなツイートを頂きました。

場札と手札から、半自動的に「選択」が行われうるか。

面白い問題です。

場札とは、場に出ている札、という意味です。花札をイメージしてみてください。麻雀でいえば、他の人の捨て牌とかドラ表示牌になります。ざっと視点を引けば「環境」と言ってしまっていいでしょう。

手札は、手持ちの札のことです。自分に所有権があり、自分の裁量で扱える「何か」を指します。広義で「自分の資源」と捉えてもよいでしょう。

片方に環境があり、もう片方に自分の資源がある。この二つが決まれば、半ば自動的に「選択」という答えが出てくる。それはつまり、

X + Y = ?

という感じになるでしょうか。

XとYが決まれば、?は一意に定まります。そこに意志が介在する余地はありません。もちろん、足し算するという行為は必要ですが、答えそのものは誰が計算しても変わるものではありません。これを半自動的と言ってもよいでしょう。

麻雀中級者までのステップ

視点を麻雀に移動させてみましょう。

麻雀において、向上のステップはいくつかの段階にわかれています。

・一番最初は、ルールを覚えること
・次に、「牌効率」を理解すること
・その次に、相手の手牌を推測すること
・最後に、大局を見据えること

ルールは単なる暗記の問題です。

次に「牌効率」。これは数学的な「期待値」を使う必要がありますが、扱う対象の数がそれほど大きくない点と、基本的に「パターン」が繰り返し登場するので、慣れで解決します。

このあたりをクリアすれば「中級者」と言えるでしょう。ここまでは、わりと簡単なのです。

「何切る」の問題集を徹底的に読み込めば、「最善の一手」を探し出すのは難しい作業ではありません。それこそ秒の単位で、あっさり答えが出せるようになります。

では、それで麻雀がどんどん強くなるかというと、やっぱりそんなに簡単ではありません。

一番難しいこと

麻雀において一番難しいのが「場状を見極める」ことです。

今が攻め時なのか、それとも守るタイミングなのか。その判断が非常に難しいのです。

中級者でも、手牌を見せられて、「最速のアガリに向かう手順は?」や「最高の打点を作る手順は?」と問われれば答えを出すことはできます。手配と向かうべき方向性が明らかならば、打牌は半自動的に決まります。

しかし、「今、最速のアガリに向かうべきなのかどうか」「1000点でも高い点数を求めるべきなのかどうか」「すっぱりアガリをあきらめるのか」を判断することは簡単ではありません。その判断を間違えれば、どれだけ「正しい手順」を繰り返しても、負けが待っているだけです。

やっぱり半自動的?

一見、その判断自体も半自動的に決まりそうな気がします。

おそらくゲームがスタートしたばかりの東一局ならば、「できるだけ高い打点を求める」姿勢が良いかもしれません。先行者はだいたいにして有利なものです。仮に親ならば、「できるだけ早いアガリを求める」を選んでもよいでしょう。答えそのものは違っていますが、半自動的に答えが導き出されている点は同じです。

では、それが半荘4回戦における、2回目の半荘のスタートで、前回自分がドマイナスのラスだったらどうでしょうか。自分がまっすぐいくよりも、他人の足を少しでも遅くするような打ち方が良いかもしれません(この辺は、デジタル派とそうでない人で意見がわかれることでしょう)。

視野が広くなれば、その分抱え込む状況もまた広くなり、問題は複雑さを増します。

見えないもの

それでも、それを丁寧に解いていけば、結局は半自動的に答えが決まるかもしれません。

では、「できるだけ高い打点を求める」と決意した南家だったとして、いきなり親がダブリーをかけてきたらどうでしょう。そのままスタンスを変えない打牌を続けるでしょうか。それとも、速度を求める方向に変化するでしょうか。あるいは一打目から安全な牌を切り出していくでしょうか。

麻雀においては、相手の手牌は「見えない」ものです。また自分のツモも「見えま」せん。場札と呼びうるものの全てが明らかになっているわけではないのです。

また、対戦相手も自分の利害に向けて「選択」を繰り返していきます。

つまり、全ての場札が見えているわけでもないし、また場状は刻一刻と変化していくわけです。

こういう状況で半自動的に答えを出すことができるでしょうか。あるいは、それができたとしてどれだけ意味があるでしょうか。

強者を作り出すもの

麻雀というゲームが、一局だけで「一番高い点数を上がった人が勝ち」なゲームならば、問題は難しくありません。おそらく一つ一つの打牌に明確な<正解>が出せます。

しかし、トータルとして成績を比べ、しかもその途中経過が不確定きわまりない麻雀において、これが100%の<正解>と言える打牌はほとんどありません。

たとえ倍マンを張っていても、相手が国士ならばオリることを検討したほうがよいでしょう。それと共に、その国士がブラフである可能性も考慮しなければならないのです。

状況判断と意志決定という恣意的なものが必要なわけです。そしてそこには、感情というオイルが入り込む穴が空いています。これを、半自動的なプロセスと呼ぶことはできないでしょう。

だからこそ、運が大きく絡む麻雀においても、強い人とそうでない人が出てきてしまうのです。

さいごに

比べてみましょう。

・全ての要素が開示されていて、わからないのは相手の頭の中だけ、というゲーム
・ある程度の要素は開示されているけれども、<未来>を含めてわからないことが多いし、運も絡むゲーム

どちらが「現実」に近いでしょうか。

世の中を、「一番高い点数を上がった人が勝ち」ゲームと矮小化すれば、「絶対的な正解」を導き出せるのかもしれませんが。

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