執筆法

長い文か、短い文か。それが問題だ。

答えが出ないことは理解しつつも、

「文は長い方がいいのか、短い方がいいのか」

を考えてみるのは楽しい。

多くの文章技術本では、「文は短くせよ」と語られている。文の長さについて言及していないものはあれど、「文を長くしなさい」と力説している本は見かけない。

しかし、作家の中には、やたらめったら長い文を書く人がいる。そして、それで大ヒットを飛ばしていたりする。そんなものを読むと、ついフラフラと長い文でもいいような気がしてくる。多くの文章技術本に疑いの目を向けたくなってくる。

はてさて、一体どちらなのだろうか。

問題をきちんと定義する

もちろん、いうまでもなく

「文は長い方がいいのか、短い方がいいのか」

こんな問いの立て方が間違っているのだ。というか、曖昧すぎる。

「何かを説明するための文章をわかりやすくするためには、文は長い方がいいか、短い方がいいか」

これならば、簡単だ。短い方がいい。

多くの文章読本で「文章を短くせよ」とさんざん語られているのは、普通に文章を書いているとつい文が長くなるからだ。長い文を書く方が、心理的に楽なのである。特に、考えていること__つまり思考にのぼっていること__をつらつらと書いているような時は、ついつい文が長くなる。

文が長くなると、いろいろな問題が生じる。そして、それが読みにくさを増加させてしまう。

逆に言えば、その問題をクリアできるならば、文が長くなってもまったく問題はない。ノープロブレムである。

長い文章が生じさせる問題

文が長くなって生じる「いろいろな問題」とはなんだろうか。

野口悠紀雄さんの『「超」文章法』からいくつか引いてみよう。

・主述泣き別れシンドローム

私の友人が去年大変苦労して書いた本は、パソコンが普及し始めた頃には、異なるアプリケーションソフトが共通のOSで動くようになっていなかったため、データを交換することができず、非常に不便だったと述べている。

「理解できない」ほどではないが、わかりやすい文でもないだろう。

読み手は、「書いた本は」の部分を通過し、「パソコンが普及し始めた頃には」というところで、微妙な負荷を感じる。文章の意味を理解するために、「苦労して書いた本」という主語を短期記憶に放り込んでおかなければいけない。それが文を読み終わるまで続くのだ。

例に挙げた分量程度ならば、まだマシであるが、もっと長くなると二度目を通さないと意味がとれないこともある。読者にとっての負担だ。これはあまりいただけない。

上のような複文を使わなければ、__つまり文を短くすれば、このような問題は起きにくい。無難に筆を進められる。

・述語失踪事件

私の友人が去年大変苦労して書いた本は、パソコンが普及し始めた頃には、異なるアプリケーションソフトが共通のOSで動くようになっていなかったため、データを交換することができず、非常に不便だった。

先の文章は、「読みにくい」程度の問題であったが、こちらの文章は文法的におかしい。もちろん、これはしっかりと校正すべきだ。しかし、主語と述語が離れてしまっているため、するっと読んだだけでは気がつかないことがある。「なとなく意味がわかりにくい文」あたりで処理されてしまう可能性すらある。

文が短ければ、こういうミスを発見しやすくなるわけだ。

ゴルフクラブと文

ゴルフを思い浮かべてみよう。

コースに出る際、いくつかのクラブを準備する必要がある。ゴルフバックを開けてみると、さまざまな長さのクラブが目に入るだろう。

一番長いのは、ドライバーだ。一番距離を稼げるクラブであり、扱いが難しいクラブでもある。7番アイアンぐらいになってくると、ぐっと短くなり、扱いやすさは上がる。

全力でドライバーを振れば、すごい距離を飛ばせる。ただしボールの芯を捉えれば、という留保が付く。長いクラブだと、それが難しいのだ。だからOBなんてものが何度も出てくることになる。

番手を下げれば、クラブの扱いはぐっと容易になり、かなりの頻度でボールの芯を捉えられるようになる。すごく飛ぶわけではないが、狙った位置に落とすことはドライバーよりもやりやすい。

文の長短は、このクラブの長短と似た関係がある。

短い文は、ミスが少なくなる。伝えたいことを伝えやすい文を、紡ぎやすくなるのだ。

短くあれ

結城浩さんの『数学文章作法』には以下のような記述がある。

長い文が常に読みにくいというわけではありません。文章を書き慣れた著者なら、長くて読みやすい文を書くこともできるでしょう。しかし、一般には短い文を心がけたほうが無難です。

お手本のようにわかりやすい文だ。

別段、短い文が「正義」というわけではないが、これから文章を書く人は短い文を心がけておくのがよいだろう。まずは7番アイアンの練習をするように。

それに、木下是雄さんの『理科系の作文技術』にはこんな言葉もある。

不要なことばは一語でも削ろうとする努力をするうちに、言いたいことが明確に浮彫になってくるのである。

これも文を短くする効能と言えるだろう。

さいごに

最後に書いておくが、短い文で構成したからといって、即「わかりやすい」文章ができるわけではない。その辺を勘違いしない方がよいだろう。

短い文が正しいわけではないが、短い方が正しい文にしやすい。

というだけだ。

「わかりやすさ」はさまざまな要素で構成されている。が、「わかりにくさ」を取り除くことは、「わかりやすさ」に近づくための道のりであることは間違いない。

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