「本を読めば頭が良くなるのか?」

「本を読めば頭が良くなるのか?」

という疑問には、少々答えづらいものがあります。

むしろ、

「頭を良くするためには、どのように本を読めばいいのか?」

の方が、とっかかりは見つけやすいでしょう。

が、その前に「頭が良いとはどういうことか?」を片付けておかなければなりません。これはなかなか難しい疑問です。

IQだけで頭の良さを片付けられればよいのですが、そうすると、頭を良くするためにはIQテストでいかに良い得点を取るのかを考える、という袋小路に入り込んでしまいます。テストの結果が良くても、実践的な生活に影響が出てくることはありません。せいぜい他人に自慢できるぐらいです。

では、実践的な「頭の良さ」とはどのようなものでしょうか。私は、以下のような特徴を備えた人物を思い浮かべます。

  • 豊富な知識を蓄えている
  • 深い思考と早い決断ができる
  • 論理立てた言語化をスラスラとこなす

別段こういう人物が「正しい」わけでもありませんし、「成功」できるわけでもありませんし、さらに言えば「偉い」わけでもありません。

単に、訓練されたある種のスキルを持っているというだけです。車の運転技術とか、ピアノの演奏とか、犬の調教とか、似顔絵とかと同じレイヤーに属しています。

ただし、「頭の良さ」と呼ばれるスキルの対象は「情報」であり、それがある種の汎用性を持っていることはあるでしょう。でも、スキルはスキルです。
※しなしながら、遺伝子的変異とも呼ぶべき「天才」が世の中にはごく少数存在することも否定はしません。

その点を踏まえておいて、上の3つの要素と読書について考えてみましょう。

豊富な知識を蓄えている

「知識?いまさら知識を四の五の言うの?」

とSF的なセリフが聞こえてきそうな今日この頃。知識なんてネットにあるじゃん、と言い切ってしまうことができるでしょうか。

確かに、ネットに知識はあり、それを検索によって引っ張り出せます。そういう意味では、個人の知識の有無など、ネットの世界では意味をなさないのかもしれません。

すると、読書で知識を増やしても意味がない、と考えるのも不自然ではありません。でも、まっとうでもありません。

第一に、全ての情報がネットにあるわけではない点。
第二に、ネット情報の信頼度の問題。
第三に、ネット情報の断片性。

有用で貴重な情報はお金になります。それを無料の世界にドバドバ流し続ける人はいないでしょう。無料でゲットできる情報には、ある種の限界がある。それは何も不自然な世界の形ではありません。

信頼度については、いまさらヤイヤイ書くことではないでしょう。玉石混淆ということもありますが、検証されにくい点もあります。

そして、断片性の問題。この問題は、上の二つに比べると注目を集めにくいかもしれませんが、案外大切です。

必要な情報__それは主に「答え」という形をしている__を検索でピンポイントに引き出す。そこには「文脈」が存在していません。その情報がなぜそこに位置しているのか。そういうものがごっそり削げ落とされているのです。

だいたいブログの読み方でもそうでしょう。RSSによる定期的な購読__私は大好きです__ではなく、ソーシャルメディアで目に付く1つの記事を抜き出して読む。その前後の記事は読まない。それでわかることって、案外限られています。新聞のような書き方であれば、記事一つで意味が了解されるようになっているかもしれません。でも、新聞だって「○○新聞だから」という文脈を理解した読み方をするでしょう。そうした方が、より多く情報の意味を捉えられることは確かです。

もちろんこれは、「だからネットはダメなんだ」というダメ議論の火だねではありません。あくまで利用者側の話です。

検索によって文脈をぶっちぎった情報摂取が「当たり前」の人にとって、情報が文脈を持つ、あるいは情報は文脈の中に位置づけられるという感覚がうまくつかめないのではないでしょうか。そのことは、その当人が文脈を持つ可能性を減退させます。要するに、何もかもが場当たり的になってしまうのです。

多くの情報は、文脈の中に位置づけられてこそ意味を持ちます。持っている文脈が豊かであればあるほど、情報の実りはより熟れていくでしょう。時に、これまで交わらなかった文脈から、新しい文脈が生まれてくるかもしれません。

実際の所、知識ではなく、自分の中にある種の文脈を確立させる__『ハイブリッド読書術』では自軸という表現を使いました__ことが、読書によるじっくりインプットの一つの意味合いです。

ネットによる「答え」だけの検索、速読による文脈阻害の読み方。こういうのは、知識を増やすかもしれませんが、それだけで終わってしまいかねません。

深い思考と早い決断ができる

「思考するためには何が必要か」

もちろん、脳です。でも、脳があっただけで思考ができるかというと、結構微妙かもしれません。

まず、「考え方」を身につけておく必要があります。算数でも「+」が何を意味するのかを了解していないと、計算を進めることができません。これは概念を展開していく場合でも同様です。たとえば「類推」などが、その一例ですね。

で、その他の学びと同様に、「考え方」も模倣から始まります。というわけで、日常的に考えている人のそばにいて、聞き耳を立てていれば「考え方」も徐々に身についていく可能性が高まります。もちろん、そういう人がソバにいなければ、書店に出かけるのが一番でしょう。そういう人たち__が著した本__で満ちあふれています。

で、「考え方」が身についていると考えられるかというと、まだ微妙に足りないものがあります。

パソコンをイメージしてみましょう。パソコンがあり、アプリがある。これで望む動作は可能になります。しかし、複雑な処理を要求していると、次第にCPUに負荷がかかりはじめ、ファンが回り始めます。それに耐えられないとアプリがシャットダウン。

たぶん人間の脳にも似たような状況があるでしょう。ようは、思考力の向かう先を一定方向に維持しておく必要があるのです。簡単に言えば集中力なるでしょうか。それが続かないと、どれだけ「考え方」を持っていても、思考を展開し続けることができません。

で、そういう力はまさに「本を読む」というある種の訓練によって鍛えられます。

ちなみに、早い決断については、たぶん読書ではあまり鍛えられません。むしろ、逆の効用がある場合もあるでしょう。これについては別エントリーで考えてみます。

論理立てた言語化をスラスラとこなす

これについては、多くの文章に接することが助力になるのは間違いないでしょう。ただ、読む際に論理の筋を追いかけるように意識しておくのがポイントです。なぞる、と言い換えてもいいでしょう。

ちなみにスラスラと流れるように書かれている文章でも、論理的にはまったく無理筋(というか筋がない)みたいな文章もあります。そういうのをがんばって理解しようとすると、悪意のあるプログラムがインストールされたような状態になりかねないので、避けるのが賢明です。

さいごに

「本を読めば頭が良くなるのか」はわかりませんが、ある種のスキルを向上させるうえで読書を役立てられることはありそうです。

しかし、非常に残念ながら、先ほどあげた「頭の良さ」には倫理観が含まれていません。とても頭の切れる悪人、というのも確かに存在します。

では、倫理観はどのように身につけるのか。そもそも「正しい」倫理観とはどのように定義しうるのか。これもまた難しい問題であります。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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