3-叛逆の仕事術

「弱い自分」に打ち勝ちたいと思っているならば

克己心。

実に素晴らしい言葉です。人間の理性を象徴しているといっても過言ではありません。

大辞林では「克己」はこうあります。

私たちが超人へと至る道は、克己の石つぶてによって敷き詰められているのです。よく、こんな言葉がありますね。

「弱い自分に打ち勝ちたいんです!」

うんうん。

あれっ、それって変じゃありませんか?

「弱い?」、ならば

克己は、「自分に打ち勝つこと」。さて、この主語は何でしょうか。もちろん、自分です。

ということは、「自分が自分に打ち勝つこと」が、克己が目指すべき頂です。当然、慎重な論理派であれば、ここに自己言及のほころびを見つけることでしょう。安易に「自分が自分に打ち勝つ」なんて受け入れるのは危険です。

が、そういう慎重さを取り除いて、「自分が自分に打ち勝つ」を受け入れたとしましょう。世の中には現実的妥協が必要なときもあります。

すると、自分VS自分の構図が浮かび上がってきます。ワクワクしてきますね。

が、実際のところ、勝負はあっけないはずです。だって、対戦相手である自分は「弱い自分」なんですから。それに立ち向かう自分は、赤子の手を三回転半ひねるよりも簡単に勝利してしまうことでしょう。あるいはたまにソニックブームで牽制しながら、ずっとしゃがんでザンギエフを待つガイルのような勝負ができるかもしれません。

ともかく「弱い自分」にそうでない自分が負ける道理はありません。だって、「弱い」んですもの。

だとすれば、「弱い自分に打ち勝ちたいんです!」なんて闘志を燃やすことすら無意味かもしれません。勝負の結末はすでに見えているのです。

しかし、逆から眺めれば、そういう闘志を燃やしているということは、簡単には勝てない現実が目の前にはあるということでしょう。

つまりは、どういうことでしょうか。

自分が戦う相手は「弱く」ないということです。むしろ、それは強いのです。

それはスイーツのように

克己の意味の中に、

「心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること」

という文章がありました。

衝動や欲望は本能であり、人間の生物的な野生の発露です。人が「野生の力」と聞いてイメージするのは、ストロングでしょうか、それともウィークでしょうか。明らかに前者です。

克己のバトルフィールドで戦う相手は、そういう奴なのです。

「弱い自分に打ち勝ちたいんです!」なんて言葉を吐く人は、現実が全然見えていません。むしろ、それに「弱さ」のレッテルを貼り付けることで、何かしらを得ていることすら考えられます。理由はどうあれ、その認識は現実とまったく違っています。

兵力差をわきまえないまま戦略を立てるような軍師に勝ち目はないでしょう。「弱い自分」なんて認識では、それに連戦連敗してもまったく不思議なことではないのです。むしろ、当然の帰結と言えるでしょう。

もう一度冷静になって考えてみましょう。

  • 空腹時に、脂っこいラーメンを目にしたあなた。
  • 疲れたときに、たっぷり生クリームのケーキを視界に入れたあなた。

そのあなたは「力強い」存在なのです。それに、「あなた」が立ち向かう、それが「克己」です。

精神力だけで乗り切ろうなんて、スイーツのように甘すぎる考えです。

さいごに

認識を改めましょう。

自分が乗り越えたい「自分」は強力なのだ、と。ザンギエフのしゃがみ強Pのように力強いのだ、と。

「その気にさえなれば、自分は自分のことを簡単にコントロールできる」と考えている間は、セルフマネジメントなんて無理です。

用意周到、準備万端、一気呵成、少数精鋭。

そういう舞台を整えて、はじめて「自分」(主に理性的な存在)が「自分」(主に野性的な存在)に打ち勝つことができます。いや、嘘です。打ち勝つことはできません。象と象使いのように、方向性をコントロールできるようになるだけです。

それでも、何もできないよりは、目の前に広がる風景は変わるでしょう。それで十分です。

▼こんな一冊も:

不合理だからすべてがうまくいく―行動経済学で「人を動かす」
不合理だからすべてがうまくいく―行動経済学で「人を動かす」 ダン アリエリー Dan Ariely 櫻井 祐子

早川書房 2010-11-25
売り上げランキング : 85323

Amazonで詳しく見る by G-Tools

1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です