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「レイヤー化する個人」がもたらすもの

Posted on 2013 年 7 月 6 日2019 年 6 月 23 日 by Rashita

自由に生き、世界を変えたいから、僕は WDS2013 に行く(Lifehacking.jp)

参加するのはプロブロガーや起業家、ネットで品物を売る人々、アーティスト、世界中を旅行する冒険家、そして私のような普通の人です。参加者はそれこそ世界中からやってきます。

おそらく上の記事を読んだ人は、「堀さんは<普通の人>じゃないですよ」と黙ツッコミしたことでしょう。私もしました。でも、そう心の中でツッコんだコンマ5秒後ぐらいに、「いや、まてよ」と思い直しました。

ある意味では、その両方の感覚は正しいのだろうし、それが「レイヤー化する個人」を象徴しているのではないか、と。

すごい、すごくないの問答

まったくもって自慢ではありませんが、私は本を書いています。謙遜でもなんでもなく、たんに「そういう仕事」をしているだけです。

お医者さんが患者さんを診るように、ピアノの先生が子どもに運指を教えるように、大工さんが家を建てるように、私は本を書いています。「なんかすごい先生」だから本を書いているのではなく、たんに何かしらの概念や方法論を人に伝えるのが__他の人に比べれば__うまいだけです。あるいはうまくあろうとしているだけです。

ともあれ、私も「すごいですね」と言われ、「いや、すごくありませんよ。普通です」とよく答えます。というか、実際に普通の人なのです。少なくとも、自分の感覚ではそうです。

昔は私も、本を出している人を眺めて「すごいな〜」と思っていましたが、いざ自分がその立場に回ってみると、別段自分がすごくなったような感覚はありません。自分ができることを、自分のできるかぎりにおいて実行しているだけです。

たぶん、その「実行していること」が、他の人からすると、すごいことのように見えるのでしょう。でも、私からみたら、他の人だってすごい部分を持っています。すると、平均化されて「別に、私はすごくないです。普通です」という風になるわけです。

個人の内に潜む複数のレイヤー

このことを別の方向から眺めてみましょう。

人は複数の要素を持っています。ペルソナ、という言い方もできますがここではレイヤーと呼ぶことにしましょう。仕事をする人、誰かの友人、誰かの配偶者、誰かの親、Twitterのクラスタ、変わった趣味の持ち主・・・。「自分」という感覚はこうした様々なレイヤーを重ね合わせで成り立っています。

20130705221228

『レイヤー化する世界』の中で、佐々木俊尚氏は次のように述べています。

積み重なったレイヤーの上から、強く絞った光を当てると、光は幾層をもつらぬき、そこにプリズムを通したような光の帯が見えてくるでしょう。私という個人は、この光の帯のようなものかもしれません。

ある瞬間では、単一のレイヤーが「自分」として認識されることはあるでしょう。しかし、総合的にみれば、「自分」は単一のレイヤーではありません。複数のレイヤーの積み重ねこそが「自分」を構成しています。別な表現をすれば、アイデンティティの帰属先が複数あると言うこともできるでしょう。

そのレイヤーですが、全てが均一的なサイズであるとは限りません。

20130705221310

こんな感じの場合もあるでしょう。「Blog」や「出版」は、より多くの人とつながれるレイヤーです。すると、この部分だけを評価すれば「すごい人」のように見えてきます。しかし、自己認識ではそうはなりません。これらのレイヤーに光を当てても、突出した部分は薄い光しか出さず、「自分」の認知に与える影響としてはそれほど強いものにはならないのです。

基本的にそれらのレイヤー__そしてそれは、それまでの人生で積み上げてきたレイヤー__が、「自分」を構成する大部分の要素となります。

だから、自己認識の中では自分は普通であり、他者からみるとすごい人、という一見食い違いのある意見が出てきます。しかし、それは目にしているものが違うのだから、当然と言えるでしょう。

アイデンティティのリスクヘッジ

こうした複数のレイヤーとして「自分」を認知しておけば、一つぐらいレイヤーが欠けても、「自分」に致命的なダメージは発生しません。多少色合いは変わるかもしれませんが、それでも光は生まれます。アイデンティティのリスクヘッジと表現してもよいでしょう。

これは基本的に認識の問題であり、選択の結果でもあります。自分に複数の要素があったとしても、それをレイヤーとして(あるいはアイデンティティの帰属先)として認めない場合があり得ます。たとえば、こんな感じに。

20130705221232

「仕事人間」と呼ばれるような人の「自分」は、きっとこんな形になっているのでしょう。

こうした人の「自分」はひどく不安定です。このレイヤーが欠損してしまえば、「自分」が失われてしまいます。アイデンティティが崩壊してしまうのです。

しかし、あらゆる物事がそうであるように、単一レイヤーの「自分」はネガティブな側面を持っているだけではありません。単純に考えれば、上のようなレイヤーの人は、仕事に「全身全霊」を捧げるでしょう。それが何かしらの結果を生み出すことは十分に考えられます。

ネットの世界にしかアイデンティティを持っていない人が、端から見ると理解しがたいぐらい「力を注いでいる」というのは、こういうことなのかもしれません。

境界線や単一のレイヤー感がもたらす弊害

だからといって、私は「単一レイヤー人間でもいいじゃん」という風には言いません。

経済学者であり哲学者でもある__実に奇妙なレイヤーの組み合わせですね__アマルティア・センは、その著書『アイデンティティと暴力』の中で、単一のアイデンティティに潜む問題を次のように指摘しています。

たとえ暗黙のうちにであっても、人間のアイデンティティは選択の余地のない単一基準のものだと主張することは、人間を矮小化するだけではなく、世界を一触即発の状態にしやすくなる。

どういうことでしょうか。

たとえば。たとえばの話です。

「あいつは過激○○○○主義者だ」

と誰かを指さします。そのとき、指さしをしている人は、他人を「単一のアイデンティティ」の枠の中に押し込めてしまっています。たしかに、その人は「過激○○○○主義者」なのかもしれませんが、その他にもさまざまな側面を持っているでしょう。それらを総合的に評価して、石を投げるのか、投げないのか判断するのが理性です。そして、一度そうした理性を働かせたら、なかなか石なんて投げられるものではありません。

究極の「単一アイデンティティ」は「敵」というラベル付けです。その人のアイデンティティを一切合切無視して、「敵」に仕立て上げてしまえば、それを殺すことすらためらわなくなります。むしろ賞賛される行為になるのです。

ここまで極端な話は、そうないかもしれません。

しかし、不機嫌な対応をするレジのお姉さんも、もしかしたら家庭で嫌なことがあった娘さんなのかもしれません。そうしたことがちょっとでも頭をよぎると、怒りみたいなものは(多少ですが)沈静化に向かうでしょう。

残念ながら、人間の脳は省力化を好み、他人に複数のアイデンティティを認めるのには労力が必要です。単一のアイデンティティの下で切り捨てている方が楽なのです。だから、まず自分自身に複数のアイデンティティを認め(これにはアイデンティティのリスクヘッジというメリットがある)、そこから他人へのアイデンティティへと思いを渡らせるのが良いのではないでしょうか。

センは同じ本の中で、こう続けています。

われわれは同じではない。むしろ、問題の多い世界で調和を望めるとすれば、それは人間のアイデンティティの複数性によるものだろう。

「人類みな一緒。だから平和に暮らしましょう」という提言もありますが、非現実的な印象は否めません。「敵」というラベルがダメならば、全部「味方」という風に認識すればいいじゃない、という主張が、どれほど効果性を持つかは疑問でしょう。

そうではなく、それぞれの人が多様なアイデンティティを持つことを認識し、その中でつながれる何かを探す(「あいつ巨人ファンだけど、ビール好きなんだってさ」)というのが、私たちが持ちうる手段ではないでしょうか。それはつまり、境界線を消してしまうのではなく、境界線を飛び越えるようなつながりを持つ、あるいはそういうつながりを探す、ということです。その結果として、境界線が消えてしまうこともあるのかもしれませんが。

「すごい人」がもたらす断絶

単一のレイヤー、そして「すごい人」という認知。ここには、一つの作用があります。

それは、「あの人はすごい人だから」という考え方の発露です。

もちろん、この考え方には、後ろに()が隠れています。それは

「あの人はすごい人だから(私には無理)」

という考え方です。

単一のレイヤーは、人を敵として貶めるだけでなく、すごい人として崇めてしまう効果もあります。それは、言い訳としては最上の効果をもたらしてくれるのかもしれません。「自分はすごくないのだから、こんなことはできない」と言ってしまえば、ありとあらゆる行為の積み重ねから距離を置くことができます。

でも、現実を直視すれば、そういう「すごい人」も、神格を添付されているわけではありません。ある部分だけは「すごい」と呼ばれるような何かを持っているだけです。でも、その実、心の内には弱さや、醜さや、拙さを有しています。しかし、「すごい人・そうでない人」という境界線とそれによって作り出される壁によって、その存在は覆い隠されてしまうのです。

強いあこがれは、人の行動力の源になります。しかし、それはその対象と自身が「つながっている」場合だけです。「すごい人」による断絶は、行動を生み出しません。

特定のメディアは、個人の突出したレイヤーだけを取り上げ、それを大々的に紹介します。それにより「すごい人」が誕生すると言っても過言ではないでしょう。そこには、断絶の切れ目があります。言い訳の種があります。ルサンチマンの萌芽があります。

さいごに

人は様々な要素を持っているし、またそれを認識した方が良い。

というのが、本エントリーの趣旨です

対人的な評価で見れば、人は、<普通の人>の部分と、<すごい人>の部分の両方を持っていると言えるかもしれません。<すごい人>と<そうでない人>の区別が、現実的な線として実在しているわけではないのです。もちろん、それを見る人が、そこに線を引けば、それが発生してしまうわけですが。

そうした多層の要素を認識した上で、<すごい人>の部分を拡張していくこともできるでしょうし、<普通の人>の部分の厚みを増していくこともできるでしょう。

それは、その人の選択であり、価値観の表出です。ある意味では、人生のデザインです。

しかしながら、どういう態度を取ろうとも、自分の中に複数のレイヤーを見いだし、それを他の人へと敷衍していくことは、これからの社会を生きる上では、大変重要な要素になっていくのではないかと感じます。

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