とても素晴らしい記事です。ぜひ一読くださいませ。
借り物じゃない「ミッション」を見つけるために(Word Piece >>by Tak.)
ミッションについて。それを言葉で表現することについて。少し考えてみましょう。
発見するもの
まずは『七つの習慣』から引用してみます。そういえば、この本は10年以上前に出版されていますが、今でもまったくもって有効な本ですね。時代を経て読まれている本は、キャッチャーな要素だけで売れた新刊よりも遙かに役立つ可能性があります。
それはさておき。
『七つの習慣』では、ミッションについて考えるためのヒントとして、ビクター・フランクル氏の言葉が紹介されています。
「人生におけるミッションというものは、つくるものではなく発見するものである」(※強調はRashitaによる)
「つくるもの」ではなく「発見するもの」。
この感覚は、とても大切です。
おそらく「つくるもの」は、「借り物」に近しい位置にあるのでしょう。
どちらにせよ、それは自己欺瞞です。
わかりやすい「自分らしさ」でコーティングし、自分そのものを覆い隠してしまうような行為です。
そこから生み出されたミッション・ステートメントに力はありませんし、その道行きの先に待っているものは何も__絶望以外は__ありません。
当てにならない自分感覚
ミッションステートメント__個人的な憲法__について、コヴィー氏は『七つの習慣』の中で以下のように書いています。ミッション・ステートメントは短期間に書けるものではない。深い反省、注意深い分析、入念な表現、そして多くの書き直しを経なければ、完成には至らない。本当に自分のものにするには、あるいはそれが自分の心の奥底の価値観と方向性を十分に表現できるまでは、数週間あるいは数か月を要するかもしれない。そして何度も復習を重ね、年月と共に理解が深まり、状況が変化していくに伴い、細かい修正を加えることが望ましいだろう。
何かの本を読んで、一時的にパッションが高まり、「そうだ!これが俺のミッションだ!」と拳と共に大声を上げる。
それって本当にあなたのミッションなんでしょうか。単に、誰かの視点が一時的にあなたに宿っただけではないでしょうか。
一冊の本を、一回読んだだけで理解したと思うのは勘違いであるのと同じぐらい、自分のことを、一度考えただけで理解したと思うのも勘違いです。
私は結婚する1年前まで、「自分は結婚なんて絶対しないだろう」と固く信じていました。「自分らしい」生き方は、結婚とは縁遠いものだと感じていたのです。しかし、そんな信心など木っ端みじんに吹き飛びました。今では、「自分はこういう奴だろう」という感覚自体への信頼も粉々になっています。そういうのは、当てにならないのです。
しかし、当てになるものがまったく無いわけではありません。
人生を振り返ってみると、どうやら私は「誰かに何かを教えること」がとても好きなようです。教えたがりなのです。それは仕事に就く以前、学生時代から変わっていません。
あと、自分で作ったもので、相手を楽しませるのも好きです。それはゲームであったり、クイズであったり、小説であったり、こうしたブログ記事であったりと形は様々ですが、基本的に無給でもやり続けていることを考えると疑う余地はなさそうです。
「自分はこうあるべきだ」という思念からではなく、「自分はこうあってきた」という足跡から、自分というものが見えてきます。というか、それが自分なのです。「自分はこうあるべきだ」というのは、自分ではありません。自分についての思い込みです。
書くことと、考えること
別段、全ての人がミッション・ステートメントを携帯して生きていく必要はないでしょう。ただ、以下の点は覚えておいが方がよいかもしれません。
書き上げる過程が、最終的な文書と同じくらい重要だと思う。それは、ミッション・ステートメントを書く、あるいは見直すプロセスに、人を変える力があるからだ。自分の優先順位について深く考え、自分の行動と信念と統一する力があるからである。
私はむしろ「書き上げる過程」こそがもっとも重要だと感じます。それは、日常的に生活しているだけではなかなか得られない「自分について考える時間」を生み出すからです。
『考える生き方』の中で、finalvent氏は次のように書いています。
(前略)そうやって生きるためには、人生のいろいろな局面で自分で考えていくだけでいい。考えて了解する人生は誰もが実現できる。
考えた結果失敗するかもしれないが、誰かの成功法則を自分で実験するよりも、自分で考えて自分だけの人生を発見していくほうが、結局、納得できる人生になる。
ここでも「発見」という言葉が出てきました。
自分で考えて、自分で発見する。それが納得感を持って生きていくためには必要なのでしょう。結局の所、自分が手にできるのは、自分で考えた分だけの答えです。
そして、「考える」ことと「書くこと」は、CPUとディスプレイのようにつながっています。描写するためには演算が必要なように、書くためには考えることが必要です。
もちろん、書かなくても考えることはできます。しかし、考えることが苦手ならば、書くことを利用した方がよいでしょう。暗算できないならば、筆算を使うように。
さいごに
ミッション・ステートメントに仮に力があるとしても、ミッション・ステートメントだけが力を持っているわけではありません。ようするにそれは、「考えて生きていく」という行為の実装の一形態なのです。他にもバリエーションはいくらでも考えられます。自分の思い込みに逃げるのでもなく、他者の人生を生きるのでもなく。
自分で考えて、自分で発見する。
おそらくそれには、よっこらしょ、と荷物を背負い込むようなしんどさが伴うのかもしれません。でもまあ、歩いて行けないほどではないはずです。重たすぎたら、下ろせばいいですしね。
▼こんな一冊も:
7つの習慣―成功には原則があった! |
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スティーブン・R. コヴィー Stephen R. Covey
キングベアー出版 1996-12 |
夜と霧 新版 |
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![]() |
ヴィクトール・E・フランクル 池田 香代子
みすず書房 2002-11-06 |
考える生き方 |
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finalvent
ダイヤモンド社 2013-02-21 |
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