4-僕らの生存戦略

社会の変化とセールス・スキルの広がり

先日紹介した『人を動かす、新たな3原則』。

人を動かす、新たな3原則 売らないセールスで、誰もが成功する!
人を動かす、新たな3原則 売らないセールスで、誰もが成功する! ダニエル・ピンク 神田 昌典

講談社 2013-07-04
売り上げランキング : 31

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ノウハウをインプットしただけで本を閉じてしまうのは、もったいない気がした。

少し「セールス」について考えを広げてみよう。

仕事の選択

農家に生まれたら、将来はその家を継ぐことが決定する。

これは「生き方を選べない」と捉えることもできるし、「就職先を探し回る必要がない」とも捉えられる。どちらにせよ、自分を人に売り込む技術はあまり必要ない。

高校を卒業して、列車に詰め込まれながら、都会の工場へと__まるで斡旋されるかのように__就職する。これも、上と似たようなものだ。

現代は、仕事が選べるし、仕事を選ばなければいけない(場合が大半だ)。

もちろん、選ぶだけではなく、選んでもらう必要もある。その点において、「相手の説得する」スキルは有用だ。

この点を就活する人が勘違いしているとダメージを喰らう。面接というのは学校で行われる「テスト」ではない。あれは、自分の売り込みなのだ。プレゼンであり、説得の場なのだ。それ以上でも、それ以下でもない。

それに慣れている人はうまくこなせるし、逆も又然り。

ともかく、「仕事を自分で選び、向こうから選んでもらう」時代では、セールスの技能はとても大切である。

仕事の中身 〜重業・全業〜

では、仕事の中身はどうか。

組み立てラインで一日中作業しているならば、セールスは必要ない。畑の手入れをしているときもそうだろう。

では、知識労働者はどうだろうか。あるいはマネージャーはどうだろうか。必要なさそうにも思える。ゆっくり考えてみよう。

まず、徹底的に分業が進んだ会社(それは大きな規模の会社であろう)では、セールスを担当する人以外には、セールスのスキルは必要ないように思える。

逆に、私のようなフリーランスや自営業者は、その仕事の中身が何であれ、セールスのスキルは必要となってくる。
※書評のエントリーでも書いた。

アウトソーシングの利用はあり得るが、基本的にはフリーランスは分業ではなく全業だ。全部、自分で、やる。おそらく中小企業でも、職務の境目が曖昧なところは少なくないだろう。こちらは重業と言える。

今後、社会が再び「大企業化・分業化」に向けて回復の道のりを歩いて行くのか、このままズルズルと「個人化・重業化」へと転がっていくのかはわからない。だが、後者ならば、多くの人にセールス・スキルが求められるのは確かだろう。「クリエイティブだけやってればいいんですよね」と言える人は、ごく少数になるはずだ。

仕事の中身 〜DWGの機能不全〜

しかし、そういった社会の変化の予想とは別に、知識労働者やマネージャーについて考えたい。

私が思うに、有能ではない(オブラートに包んだ表現)マネージャーというのは、本書で開示されているようなセールスのスキルが欠落しているのではないだろうか。

彼らの仕事ぶりは、マネージャーではなくコマンダーだ。それが通用するのは、はっきりとした階層と立場の強弱がある組織だけである(サー、イェッ、サー!)。

本書では「Always Be Closing」(必ずまとめろ契約を)という古き金言が紹介されていたが、コマンダーの姿勢はそれと似たようなものだろう。ようは「Do Without Grumbling」 (四の五の言わずにやれ)ということだ。

おそらく、DWGで人を動かせていた時代もあったのだろう。

しかし、知識労働者を中心とする企業の多くは、それまでの日本企業に比べるとフラットな組織形態になっている。フラットということは、立場の強弱が少ないということだ。それぞれの知識労働者はプロフェッショナルであり、上司はその分野に関して彼よりも知識がない、なんてことは珍しくない。そんな状況で、DWGは通用するだろうか。いささか厳しいに違いない。

それぞれのプロフェッショナルに、納得して仕事をしてもらう。スキルを最大に発揮してもらう。

それがマネージャーの仕事であり、それをこなすスキルが求められている。

また、知識労働者もタコツボに閉じこもって自分の仕事をしていればよい、というわけにもいかない。自らの知識を誰かに使ってもらってこそ初めて自分の仕事の意義が生まれるのだ。時には他人と協力して仕事を進めることも必要だろう。そういう局面で、人を動かす(人に動いてもらう)スキルを有しているのは便利だ。

選択できる環境

また、日本企業文化が作り出した最大の楽園である「終身雇用・年功序列」の影響も考慮したい。

本書の中で、これまでのセールスが押し売り型だったのは、買い手と売り手に情報の非対称性があったからだ、と著者は指摘している。情報は力である。買い手は力が少なく、売り手はそれを豊富に持っていた、というわけだ。

これと似たようなことが、企業の中でもあったのではないだろうか。

「終身雇用・年功序列」システムの中では、明らかに会社を辞めるのは得策ではない。仕事を辞めた後どうなるかもわからない。そういう状況では、働いている人が持つ選択肢が非常に狭くなる。つまり、「そこで働くしかない」形が生まれるのだ。

これは近くに一軒だけある電気屋さんで家電を買うのに似ている。「このテレビは10万円です」と言われれば、「はい、それで買います」と言うしかない。

しかし、現代は違う。

Amazonや価格ドットコムが、「このテレビは9万円です」といっているお店や「9万5000円ですけど、ポイント6000つきます」といっているお店の情報を提供してくれる。

残念ながら、日本の労働市場において家電と同じようなレベルまで情報が開示されているとは言い難い。それでも、働き手にとってずいぶん選択肢が増えたことは間違いない。

ハローワークだけではなく、ネットでも仕事を探すことができる。

そんな環境では、「会社」というもので人を束縛することはできない。マネージャーはふんぞり返って、命令しているだけ、というわけにはいかない。(「いやなら、やめろ」「はい」)

これまで使えた力が、その威力を失ったのだから、新しい何かが必要である。

そして、このことは、働き手も自分を売り込む力が必要ということも合わせて強調する。

セールスの広がり

「知的生産」の技術は、最初は象牙の塔に閉じ込められていたが、やがてビジネスの世界に浸透し、今では個人の生活へとその裾野を広げている。

それは、社会がそれを求めるように変化してきたからだ。情報産業の盛り上がりと共に、高度情報化社会が生まれてきたのだ。

きっと、セールスの技術についてお同じようなことが起こりえるのだろう。

分業化が進み「セールス」の仕事に閉じ込められていたセールスのスキルが、少しずつ世の中に広がり始めている。囲っていた膜が破れて、その中身がどろどろとこぼれ落ちていくように、人を動かすスキルの必要性もさまざまな分野へと浸透していくのだろう。

もし、若者に何か武器を渡すのならば、「知的生産の技術」と「人に動いてもらうスキル」はとても良い選択のように思える。それは確かに、この社会において個人をエンパワーしてくれるだろう。

さいごに

梅棹忠夫氏は「産業情報論」の中で以下のように述べている。

(前略)しかし、その起源については工業に負うところがおおきいとしても、情報産業は工業ではない。それは、工業の時代につづく、なんらかのあたらしい時代を象徴するものなのである。その時代を、わたしたちは、そのまま情報産業の時代とよんでおこう。あるいは、工業の時代が物質およびエネルギーの産業化が進んだ時代であるのに対して、情報産業の時代には、精神の産業化が進行するであろうという予察をもとに、これを精神産業の時代とよぶことにしてもよい。

わたしたちは、この「精神産業」について、ほとんどまだ何も知らないのかもしれない。

ただ一つだけ言えるのは、工業の時代で通用したさまざまな手法は、精神産業の時代では通用しなくなるだろう、ということだ。時代が変わり、そこには断絶が生まれる。

ドラッカーは、そのことをはっきりと見通していた。しかし、これほどドラッカーの名前に注目が集まった日本において、減価償却もとっくの昔に終わったような機械が使い続けられようとしている。もったいない気分でも抜けないのだろうか。実に興味深い話である。

▼こんな一冊も:

情報の文明学 (中公文庫)
情報の文明学 (中公文庫) 梅棹 忠夫

中央公論新社 1999-04
売り上げランキング : 11373

Amazonで詳しく見る by G-Tools

マネジメント[エッセンシャル版] – 基本と原則
マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則 ピーター・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2001-12-14
売り上げランキング : 195

Amazonで詳しく見る by G-Tools

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です