高名な哲学者の考察を拝借しなくても、人間が相反する二つの欲求を持っているのはよくわかります。
一つは、人とつながりたいという欲求。一体感の獲得、社会の構築、集団がもたらす安心感。形は多様ですが、私たちが他者を求める気持ちを持っていることは確かです。
もう一つが、人と違った存在になりたいという欲求。目立つ、というわかりやすい形を取る場合もあれば、孤独を求める心として表出する場合もあります。
ある瞬間を切り取れば、どちらかの欲求が人を支配しているようにみえるかもしれません。しかし、俯瞰すれば、人間はこの両方の性質をうまく使い分けながら、日常生活を送っています。つまり、心のハイブリッド・システムがそこにあるわけです。
ハイブリッドのかたち
ただし、「両方を使う」といっても、実際はいろいろな使われ方があるでしょう。たとえば、集団に属していながら特別な存在を目指す、という形です。リーダーになりたくて仕方がない心理は、この表れと言えるでしょう。あるいは、他の人と同じアイテムを使っていながらも、すこしカスタマイズ(あるはデコレーション)して個性を出す、なんていうのも両方の欲求を満たす行為と言えます。
あるいは、こういう形もありえるでしょう。
昼間は会食を開いて積極的に議論を行い、夕方以降は一切誰とも会わずに書斎に閉じこもる。他方では他者とのつながりから生まれる情報の接触を重視し、他方では心のトビラを閉めて思索の旅へと踏み込んでいく。そういう使い分けです。
(集団+個)の形は、一つの行為から二つの欲求を満たそうとしています。ある意味では灰色です。
対して(集団 or 個)は、二つの欲求を満たす二つの行為を切り分けます。これは陰陽模様をイメージするとよいかもしれません。混ざり合うことなく、それぞれの色が独立して存在する。そんな感覚です。
説得が崩すバランス
現代は「説得社会」です。いや、「超説得社会」と言えるかもしれません。現代の高度に情報化された社会のパイプラインは、その中身に大量の「説得」を詰めて、社会の中を循環しています。
そんな社会の中に身を置いていれば、そして何も防衛策をとらなければ、きっと陰陽のバランスが崩れてしまうことでしょう。片方の力が強くなりすぎるのです。それでは、バランスはとれません。
そんなときは、ドアを閉めましょう。
とじこもる
空間的に、認識的に、情報的に、感覚的に、場所的に、道具的に、感情的に、一人になれる時間を持っているでしょうか。別に山に籠もる必要はありません。もちろん、可能ならばそれも選択肢です。
書斎があるならば、落ち着けるカフェがあるならば、海を眺められる砂浜があるならば、そこに行きましょう。
場所がなくても、感覚の中で一人になれるのならば、それで十分です。16時間もいりません。8時間だって不要です。ほんの少しの時間、ドアの奥に行くことができれば、それでバランスを取り戻すことができます。
さいごに
ドアとはなんでしょうか。ドアは壁ではありません。壁は区切るものであり、行き来を遮断するものです。
その点、ドアは区切りは生むものの、遮断効果までは持ちません。そうする意志があれば、ドアを開けて世界を移動することができます。
心の中にドアを持ちましょう。