4-僕らの生存戦略

エドおじさんを食べてはいけません

『ヤバい経営学』からブログの手法を学ぶ連載。

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実 フリーク ヴァーミューレン Freek Vermeulen

東洋経済新報社 2013-03-01
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第一回:日の当たらない(ブログの)競争力の源泉
第二回:決してコピペできない(ブログを形作る)要素
書評記事:【書評】ヤバい経営学(フリーク・ヴァーミューレン)

今回は、人肉食とリストラについて。

フォレ族の誇る伝統

パプアニューギニアのフォレ族は、亡くなった親族を土葬する習慣があったそうです。

ある日、エドおじさんが亡くなり、彼の遺体を埋葬しようとしたとき、誰かが致命的な言葉を発してしまいました。

「なんでこんなおいしそうな肉を埋めちゃうんだい?そんなのもったいないじゃないか」

なるほど。たしかに、そこに「食料」と呼べるようなものがあります。それに法律で禁止されているわけでもありません。捨ててしまうなんて勿体ないですね。そう考えて、親族は遺体を食べてしまいました。空腹感は満たされ、弔いも無事終了です。きっと、インテリのひょろっとしたメガネフォレ族は「亡くなった方も、こうやって食べてもらった方が・・・」なんて理屈をこねくり回していたでしょう。

またたくまにその習慣が村全体に広がり、近くの村の人もそれをマネし出します。なんと言っても食料が増えるわけですから。Good Ideaです。それにメガネのお墨付きもあります。

結局、親族の脳みそまで美味しくいただくこの習慣は「フォレ族の誇る伝統」になりました。それが、クロイツフェルト・ヤコブ病の原因になっているとも知らないで。

見えない副作用

著者のフリークは、フォレ族の「誇る伝統」の問題点を以下のように指摘しています。

フォレ族の習慣は明らかに有害で、自分たちに死をもたらした。彼らの風習は、空腹をなだめ、飢餓を減らす、といった即効薬だった。しかし長期的には、ひどく悲惨な結果を生み出した。しかしここでの問題は、潜伏期間が長いため、何年もの前に始めた習慣が問題を起こしていることに気がつかない、ということだ。

ポイントは、短期的で即効性のある「効果」と、長期的な「副作用」の両面です。人間は、どうしても前者の方に視点を集めがちで、後者は無視しやすくなります。意識に上らないことだってあります。

これはまるで、悪意ある「副作用」が即効性のある「効果」をエサにして人をおびき寄せている、という風にも見えなくはありません。もちろん、そんな擬人化に意味はありませんが、人がそれに釣られているという構図は確かにあるでしょう。

経営者が行う「合理化」も、本質的にはこれと同じではないか、と著者は投げかけます。

人気のある経営施策の中には、同じような特徴を持つものがある。施策はすぐに効果を生むが、その副作用はしばらく後に現れてくる。そのため、経営者は副作用は甘く見てしまったり、全く副作用に気がつかなかったりする。

代表的な例として挙げられているのが「リストラ」です。

人員を削減すれば、近くの決算の「利益」を確実に改善することができます。しかし、それが長期的にどのような影響を与えるのかは、正しく評価されていません。特に株式市場では。人が減り、有能な人材を引きつけられなくなり、一人当たりの負担が増え、企業に対する従業員の、あるいは顧客のロイヤリティーが下がる。

「骨を切らせて肉を経つ」なんてことわざがありますが、「ダイエットしすぎて骨折しやすくなる」なんて構造がリストラにはあるのかもしれません。

もちろん、ここで企業活動におけるリストラの是非を議論したいわけではありません。

ブログにおける「短期のメリット」がもたらすものについて考えたいのです。

得る代わりに、失うもの

短期的で即効性のある「効果」と、長期的な「副作用」

と聞いて、即座に思い浮かべるのが「アクセス数アップ」です。あぁ、なんと甘美な響きの言葉でしょうか。アクセス数がアップすれば、承認欲求は瞬く間に満たされますし、金銭的にもなにがしの見返りが期待できます。

しかも親切なことに、世の中にはアクセス数アップの方法がごまんと紹介されています。その中には「短期間にぐぐーんとアップ」を謳うものあります。それを使えば、バラ色の世界が待っているでしょう。まるでエドおじさんの脳みそを口に運んだときのような。

あらかじめ書いておくと、私は「PV肯定派」であり「PV至上主義反対派」です。この二つの違いについては割愛しますが、字面からなんとなく雰囲気は伝わるでしょう。

ブログにおけるアクセス数のアップは是非ともチャレンジしたいところですが、それを「短期間にぐぐーんと」やってしまおうとすると、結構大きな副作用がやってくると思います。それも中・長期的にみて。

私も一時期、アクセス数稼ぎ(と表現するのがぴったりです)に躍起になっていたことがあります。その瞬間は、まるで難しいゲームにチャレンジしているかのように楽しいのです。でも、ある時点までくると途端に虚しくなります。私は数字を追いかけていただけであって、その心の中に読者の存在はまったくありませんでした。そんな文章に一体どんな意味があるのでしょうか。

『ヤバい経営学』の別の章にこんな言葉が出てきます。

規模とは成功の結果として現れる。

かりそめの規模だけを追い求めても、張りぼてのような虚構が出来上がるだけです。たまにその虚構が現実として力を持つこともありますが、それはあまりに危うい賭けです。ダークサイドは、人のすぐ近くに存在しているのです。

PV獲得に躍起になりすぎると、読者を失う危険性が出てきます。PV=読者、ではないのです。その違いが見えてくるのは、残念ながら長期的なスパンにおいてだけなのです。

さいごに

長期的な影響は「目に見えない」

これを受け入れるならば、デメリットだけではなくメリットの方にも適用すべきでしょう。

ブログを更新する。できれば定期的に更新する。

こんな行為は、まったくもって無意味です。少なくとも短期的には。

長期的な視点に立てば、何かしらあるかもしれません。しかし、それは残念ながら始める前には見えてこないのです。

最後の最後には「信じる」という、とても曖昧で、かつ人間にしかできない行いに身を託すしかありません。

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