世の中には、たくさんの「方法論」や「ノウハウ」が存在しています。
それらは、科学的に生成されたものでもなければ、地中深くから掘り出されたものでもありません。
人間が「考え出した」ものです。
その「考え出され方」を、ざっくり3つに分けてみましょう。
- 個人が自分の体験から導き出したもの
- 同時代の人々の共通の体験から導き出したもの
- 時代を超えて普遍的に見られる要素から導き出したもの
1は、「経験則」と呼びうるもの。2は「法則」、3は「真理」なんて呼ばれるかもしれません。
『ビジョナリー・カンパニー』が示すものは2であり、孔子のお話は3に分類できるでしょう。
改めて言うまでもありませんが、これらの中で一番信頼度(あるいは確度)が高いのは3です。逆に、1は眉にツバをつけた方が良いかもしれません。絶対に間違っていると断罪する必要はありませんが、間違っているかもしれないな、という保留は高い割合で必要です。
なぜなら、そこで導き出されたものは、その個人の特性に強く影響を受けたり、その人が置かれていた状況だけで適応できるものかもしれない、という懸念があるからです。
あるいはバイアスの問題もあります。
人間の認知など完璧ではありません。かなり強く偏っているものです。自分自身に対する認知ですらそうです。
だとすれば、個人が自分の体験から導き出した何かは、根本的なレベルで誤っている可能性があります。何かしらの成功要因がAだと思っていても、実はそれはまったく関係なくて、実はBだったりするかもしれないのです。最悪「単に運が良かっただけ」なんてこともあります。
仮に上場している全ての銘柄が上がっているならば、どのようなトレーディングスタイルを実施しても間違いなく勝てます。彼が毎日欠かさず、神社にお参りしているのが勝ちに繋がったと分析していても、それはまったく的外れなのです。それは、相場が下がり始めれば、実にはっきりしてくるでしょう。
しかし、彼が勝っている間は、その間違いを指摘することはできません。仮に指摘しても彼は耳を貸さないでしょう。だって、勝ってるんですから。それが全てであり、それが正義です。
もう一度書きますが、個人が自分の体験から導き出したもの全てが間違っている、と断言する必要はありません。単に、正しいのかどうかその時点では判断できない、というだけです。データが少なすぎるのです。
もちろん賢明な彼は、自己の方法論の確かさを証明するためにさまざまなデータを持ってくるでしょう。
必死に探し回れば、日本全国で毎日欠かさず神社にお参りしているトレーダーを一人か二人ぐらいは見つけられます。全ての銘柄が上がっているならば、彼らも勝っているでしょう。だから、「ほら、自分以外の人も同じようにして勝っています」という主張を裏付ける<証拠>として華々しく彼らも紹介されます。
それらの情報をいち早く聞きつけた人が、神社にお参りしてトレーディングに参加し始めるかもしれません。なんと、彼らも勝つのです。その情報が共有されると、さらに人が増え、それがさらなる人を呼び・・・。
こうして、あたかもその方法論が絶対的な方法であるかのような幻想が生まれます。もちろん、環境が変わった瞬間に、全ての幻想は吹き飛びます。ぶち殺されます。そうなると、もう「誰が悪いのか」なんて話をしても仕方がありません。起きてしまったことは、起きてしまったことなのです。
世の中には様々なデータがありますし、データからそれらしい分析を作ることもできます。それに偏ったバイアスを持った人間が数十億存在しています。
すると、何かしらを「正しい」と主張する話を裏付ける「データ」や「意見」を持ってくることは難しいことではありません。だからといって、それが即「正しい」というわけでもありません。それは限定的な環境や限られた時間の中でしか生息できない「正しさ」の可能性があるのです。
人間が考え出す、方法論やノウハウはいつでもその可能性を秘めています。
しかし。
人はどこかから始めなければいけません。スタートにはとっかかりが必要です。
できれば、3や2によって導き出された方法論を使いたいところです。時代や環境を越えても通用している方法ならば、これからも役立つ可能性は高いでしょう。バイアスも相殺されているかもしれません。
が、まったく新しい分野ならそういうものが存在しないことも考えられます。
もし1のようなものしかないとすれば、それはもう仕方ありません。1はあくまで「参考情報」の一つとして扱い、自分自身で自分なりの方法論を立ち上げていくことです。1に盲目的に従うよりは、そちらの方が遙かによいでしょう。
どちらにせよ失敗する可能性はあるわけですし、そのリスクを負うならば、自分自身の方法を立ち上げた方が得られるものもいろいろ多いでしょう。また、多様な方法論が模索されていれば、その後の世代に向けて、2や3の材料を提供することにもつながります。
さいごに
多くの方法論は有用です。それは人類が歴史という堆積の中で作り上げたきた一つの結晶です。しかし、そうでない方法論もあります。
それは新しい情報だけが好まれ、奇抜で個性的なスタイルがより目立つような情報環境において、たくさん生まれ出てきます。
▼こんな一冊も:
なぜ、ノウハウ本を実行できないのか―「わかる」を「できる」に変える本 |
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ディック・ルー ケン・ブランチャード ポール・J・メイヤー 門田 美鈴
ダイヤモンド社 2009-12-11 |
とある魔術の禁書目録(インデックス) (電撃文庫) |
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鎌池 和馬 灰村 キヨタカ
メディアワークス 2004-04 |
ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則 |
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ジム・コリンズ ジェリー・I. ポラス 山岡 洋一
日経BP社 1995-09-29 |
孔子 |
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和辻 哲郎
2012-10-05 |