マーケットとは何か。
それは市場である。では、市場とは何か。
一種のプラットフォームといってよいだろう。売買というある種の交換を希望する人たちが集う場所だ。
マーケットデザインとは、一般的にイメージされる市場(しじょう)から踏み出て、何かを交換する人たちの場をいかに効率的に設計するのかを考えること、本書の言葉を借りれば「高質な市場を光明に設計しよう」とするアプローチである。
マーケットデザイン: 最先端の実用的な経済学 (ちくま新書) |
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坂井 豊貴
筑摩書房 2013-09-04 |
多様な市場
そのアプローチに前提として存在するのが「市場は一様ではない」という認識だ。つまり、一口に市場と言っても、できの良いものと悪いものがあるのだ。だからこそ「高質な市場」を目指すのである。この前提は本書の内容に深く関わっているわけではないが、土台として欠かせない。
よく効率の悪い政府の動きについて、「市場主義(市場制度)を導入せよ」と声高に叫ばれることがある。もちろん、そこに反対意見も上がる。健全な社会のあり方だ。
しかし、そのとき議論になるのは、それが効率化を目指すべき対象かどうか、という点だけだ。つまり、市場を導入すれば効率が上がり、そして何かが失われる。そのトレードオフは果たして帳尻があっているのかどうか。それだけが議論の中心になる。
これは「市場」というものが単一の存在であり、それを導入すれば必ず効率が上がり、必ず何かが損なわれるということが前提になっている。
しかし、市場にも複数の在り方がありうるのだとすれば、この手の議論はもう少しややこしさを増す。市場を導入しても、その分野では効率が上がらないかもしれない。あるいは下がることだってありうる。あるいは、別の形の市場を導入することで、トレードオフの配分を変えることができるかもしれない。
「自由価格競争による市場」だけが市場ではないのだ。そう考えたとき、参加者が何かを交換する場(プラットフォーム)をいかに設計するのか、が重要であることが見えてくる。
うまくデザインできれば、参加者の満足度が上がるプラットフォームができあがるだろう。そしてそれは、よりスピーディーに交換が行われるようになるだろう。
もちろん逆もありうる。下手なデザインの市場は、各々の交換を抑制し、自分の持っているものだけしか持ち得ない場を生み出すだろう。漁師は魚しか食べられないし、技能者はフリーランスでやっていくしかない。いや、仕事の依頼と受注も一種の「交換」と考えるならば、それすらもできないだろう。ドラッカーは知識労働者にとってこそ組織が重要であると説いたが、交換が抑制された社会では知識労働者は何も仕事ができなくなるかもしれない。
概要
さて、脱線が過ぎたので本書の概要に移ろう。章立ては以下の通り。第一章 組み合わせの妙技
第二章 両思いの実現
第三章 競り落としの工夫
第一章では、腎臓ドナーの交換を例に挙げて「アルゴリズム交換」の強力さが紹介されている。入れ換える、交換する、という何も追加するものがない行為でも、全体の満足度が上がるという好例だ。
第二章では、男女のペアの作り方や、病院と研修医の最適な組み合わせを見つけ出す方法として「マッチング理論」が、第三章ではさまざまなオークションの特徴が紹介されている。
特に難しい数式はでてこないので、丁寧に説明を追っていけば十分に理解できるだろう。
TTCアルゴリズム
たいへん興味深く読んだのが、本書でもかなりのページを割いて紹介されているTTCアルゴリズム(※)だ。※トップ・トレーディング・サイクル・アルゴリズム。
詳細は本書に譲るが、このTTCアルゴリズムを使うと、恐ろしい数の組み合わせを、いちいち「これが最適な組み合わせであるかどうか」を確認しなくて済む。これは重要なポイントだ。
交換する場をイメージした場合、参加する人が多ければ多いほど、「自分の好みの交換相手」が見つかりやすくなるだろう。3人のお見合いパーティーと、100人のお見合いパーティーを比べてみれば明らかだ(※)。
※確率の問題なので、3人の方に「運命の人」がいる可能性は当然ある。
しかし、参加者が増えれば増えるほど「適切な組み合わせ」を作るのが難しくなってしまう。3人同士のお見合いなら、全員が「まーしゃないかな」と思える組み合わせを見つけることは難しくない。一つ一つ確認していけばいいだけだ。しかし、100人になるともはや人海戦術を用いても対応できなくなる。
そこでアルゴリムズムの登場というわけだ。
本書の解説を読むと、このTTCアルゴリズムは非常にシンプルである。「えっ、これで見つかるの?」と素直に思ってしまった。しかし、確認してみると確かに最適な組み合わせができあがっている。人間の直感では到底及びも付かない力があるようだ。
さいごに
しかしながら、なんとなく心に引っかかるものもある。以上の図は本書p.50からの引用だ。この図が何を意味するのかは本書を読んでもらうとして、私は6番の学生の心情を思うと、悲しい気持ちになってくる。
彼は全体最適のために、あの場所にいることを強いられてしまった。彼以外は、おおよそ望みの部屋をゲットしている。でも、彼だけが変わらない部屋のままなのだ。
もちろん、彼は現状維持であって、決して「悪く」はなっていない。全員がプラスマイナス0以上の結果になっている。
でも、自分以外の人間がより良い部屋に移ったとき、自分だけがそのままの状態であるとするならば__そして、彼は自分の部屋をあまり気に入っていなかったとすれば__、きっと彼は気分的にマイナスだったのではないだろうか。でも、アルゴリズムはそんな彼の心境までは気にしてくれない。
もし彼が抜け駆けして別の学生と部屋の交換を行い、上の強コアの構図を壊してしまったら、周りの人間から非難されるだろう。それも強く非難されるはずだ。きっと6番の彼はそのことを憂い、何も言わずにあの場所でじっとうずくまっているに違いない。
彼は何も悪くないのだ。ただ、うまい交換相手が見つからなかっただけ。しかし、交換を前提とする社会では、それも悪いことになってしまうのかもしれない。
これもまた、さらに高質な市場によって解決されるのだろうか。
ソーシャル時代のハイブリッド読書術 |
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倉下 忠憲
シーアンドアール研究所 2013-03-26 |