新しい時代を生きる力

情報の授業と、知的生産の技術

おぼろげに振り返ってみると、たしか高校時代に「情報」の授業があったような気がする。

科目名として「情報」だったのか、それとも何かしらの授業の一環だったのかは思い出せない。ともかく、生徒ひとりひとりがパソコンの前に座り、先生の指示に従って、ピコピコと操作していた記憶はある。

その授業では、亀に命令して図形を描いていた。ようは簡易版のプログラミングだ。ほかの内容はまったく思い出せないが、亀が歩きながら線を引き、角度を変えてまた線を引いていくシーンだけはよく覚えている。特に自慢というわけではないが、その頃から独学でBASICを触っていたので、パソコン上に図形が描けること自体には驚きはなかった。ただ、日本語の命令でそれができることには、ちょっぴり驚いた。

Googleで「亀 プログラミング 日本語」と検索してみると、どうやらドリトルという教育用に開発されたプログラミング言語のようだ。アルゴリズムに親しむという点では、一定の効果があるのだろう。つい最近見つけた、「アルゴロジック」というWebゲームもなかなか面白い。わりとムキになって考えてしまうし、それを考えること自体がアルゴリズムに親しむことにつながる。

さて、こうした授業の内容は、はたして「情報の授業」と言えるのだろうか。

社会の変化と必要な力の変化

文部科学省の高等学校学習指導要領解説から、「情報」科目についてのPDFがダウンロードできる。


http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2012/01/26/1282000_11.pdf

平成22年1月に作成されたものだ。

ここでは大きく、<各学科に共通する教科「情報」>と<主として専門学科において開設される教科「情報」>の二つに分けられている。後者はイメージしやすい。ようはコンピュータを扱うことがメインの仕事に向けた教育だ。プログラマへの準備、というのがわかりやすい理解だろう。現代では、そういった職種はもっと広がっている。

では、前者は何を指すのか。

第一部・第一章・第一節にある「改訂の経緯」の書き出しを引用してみよう。

21世紀は,新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す,いわゆる「知識基盤社会」の時代であると言われている。このような知識基盤社会化やグローバル化は,アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で,異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている。このような状況において,確かな学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視する「生きる力」を育成することがますます重要になっている。

産業の構造が移り変わっていることは確かだ。ものづくりが廃れきってしまうことはないだろうが、ものづくりだけで踏ん張りきれるものでもない。知識基盤社会、知価社会など、呼び方はいくつもあるが、価値を生み出せる情報の重みが増している社会であることは疑いないだろう。

そういう社会では、ドラッカーがいう「知識労働者」の数が増えてくる。あるいは、多くの職業人が知識労働者的側面を持ちうる、と言ってもよい。

もし、今の社会あるいはこれからの社会が、ポスト工業化社会__つまり情報化社会であるならば、そして、その社会で生きていくための力を育成するのが教育の役割だとするならば、「情報を扱う技術」は必須のもの、に限りなく近くなるだろう。

仕事だけではなく

それは「仕事」に限った話ではない。

現代ではスマートフォンの普及に伴って、ソーシャルメディアも広がりを見せている。決定的なツールがどれになるのかは未だに見えないが、生活の中にソーシャルメディアが入り込んでいる人は数多くいるだろう。そのソーシャルメディアでは、「情報」がやりとりされているのだ。

情報を受信するだけでなく、自ら情報を発信することもできる。何かをリツイートするのだって、広い意味では情報発信だし、プロフィールを埋めるのも情報生成だ。

「情報を扱う技術」は、社会的にその必要性を浸透し始めている。日常的に必要なもの(あるいはあったらいいなと思えるもの)になりつつあるのだ

二つの科目

上の指導要綱では、各学科に共通する教科の「情報」を二つの科目に分けている。一つが「社会と情報」、もう一つが「情報の科学」だ。

「社会と情報」については,情報が現代社会に及ぼす影響を理解させるとともに,情報機器等を効果的に活用したコミュニケーション能力や情報の創造力・発信力等を養うなど,情報化の進む社会に積極的に参画することができる能力・態度を育てることに重点を置く。

こちらは、インフォメーション・リテラシーとでも呼ぶべき内容だろう。

言うまでもなく、情報機器に精通している=情報の扱い方に精通している、にはならない。Twitterやらブログやらを眺めていると、コミュニケーション能力にやや難がありそうな人を見かける。そういう人たちの態度は、私の知らないメリットがあるのかもしれないが、だいたいは何かしら損しているような気しかしない。

「情報の科学」については,現代社会の基盤を構成している情報にかかわる知識や技術を科学的な見方・考え方で理解し,習得させるとともに,情報機器等を活用して情報に関する科学的思考力・判断力等を養うなど,社会の情報化の進展に主体的に寄与することができる能力・態度を育てることに重点を置く。

こちらは、どう呼べばいいだろうか。

それを考えるために、「情報の科学的な理解」についての定義を引いてみよう。

情報活用の基礎となる情報手段の特性の理解と,情報を適切に扱ったり,自らの情報活用を評価・改善するための基礎的な理論や方法の理解

ここで、「情報活用」という言葉が出てくる。「情報活用の実践力」の定義はこうだ。

課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて,必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し,受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力

これは何か。

むろん、「知的生産の技術」だ。

おそろしく長い年月を経て、知的生産の技術が高校の授業で取り入れられるようになった、ということだろう。

さいごに

もちろん、これが「現場」でどのような形になっているのかわからない。効果があるのかどうかも分からない。

しかし、「知的生産の技術」が、現代社会で有用な技術であることは確かだ。

アルゴリズムを学ぶのも「情報の授業」であることは間違いない。しかし、それは若干<専門学科>向けの内容である。
※ただしパソコンを使う人はアルゴリズムを理解していると簡易のプログラミングができるので便利ではある。

広く必要なのは、

課題や目的に応じて情報手段を適切に活用することを含めて,必要な情報を主体的に収集・判断・表現・処理・創造し,受け手の状況などを踏まえて発信・伝達できる能力

の方だ。高校生たちは、これを学んで社会に出てくる。では、すでに社会にいる人はこの力をどれぐらい持っているだろうか。

つまり、『今こそ読みたい梅棹忠夫』なのだ。

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