数学の言葉に「自然数」ってありますよね。
Wikipediaによると、
自然数(しぜんすう、英: Natural number)とは、個数、もしくは順番(これは正確には有限順序数)を表す一群の数のことである。
と解説されています。イマイチ理解できませんが、
1,2,3,4,5,6,…
ようするにこういうのでしょう。マイナスの符号もなく、小数点もなく、虚数単位iも含まれていない。私たちが直感的に扱える、実感を持って受け入れられる数。そういうものがあるわけです。
※ちゃんとした定義は調べて下さい。
数学全体では、自然数以外の数も扱います。整数であったり、無理数であったり、複素数であったり。そういうものが扱えるからこそ、数学の地平線は大きく広がっているわけです。
類推発動
さて、ここからはあてもない思いつきと類推なんですが、「自然数」を言葉の世界に持ち込むことはできるでしょうか。つまり「自然語」というものは考えうるか、ということです。もし、そういうものが考えられると想定した場合、その言葉は
「私たちが直感的に扱える、実感を持って受け入れられる言葉」
ということになるでしょう。
具体的で、実体のある対象を指した言葉が、きっとそれです。
おそらくその中には、「自分自身と 1 以外の約数を持たない」ような「素語」もあるはずです。
もちろん「自然語」以外の言葉はいっぱいあるでしょう。実体を持たない言葉、割り切れない言葉、単位の異なる言葉の組み合わせ、…
こういうのを無数に組み合わせて、文章は紡がれていきます。小説なんてその最たるものでしょう。
でも、時と場合によっては「自然語」だけしか使ってはいけないようなこともあるかもしれません。たぶん、そこにはある種の抑制が必要です。
さいごに
結論めいたものは何もありません。インスピレーションの種だけを投げて終わるエントリーです。
≪…「自然語」というものは考えうる…≫は、『刀札』で≪…1,2,3,4,5,6,…≫を紡ぎ出せる。
『刀札』は、≪…符号もなく、小数点もなく、虚数単位i …≫もこの『刀札』を操ることで生まれるのだ。
≪…「自分自身と 1 以外の約数を持たない」ような「素語」…≫は、『幻のマスキングテープ』に生まれかわる。
≪…「自然語」だけしか使ってはいけないようなこともある…≫は、[真理]・[心即理]・[科学]などなどの世界でしよ
う・・・⦅到良知⦆
『刀札』の原型は、[もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)