6-エッセイ

「ネットで成功したのは〈やめられなかった人たち〉である」

『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』

ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である
ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である いしたに まさき

技術評論社 2010-11-27
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という本があります。

タイトルだけ見ると、「そうか、ネットで成功するためには続ければいいんだ!」なんてお手軽な回答に飛びつきたくなります。しかし、矛盾するようですが、お手軽な回答というのは、だいたいにおいて苦行を必要とするので、現実的ではありません。

石にかじりついてでも3年間ブログを更新し続ける?そんなことは、まあ無理です。3年という時間は、けっこう長いものです。

継続と、やめないの差異

たしかにネットで知名度を得るためには継続が欠かせないでしょう。しかし、継続すれば知名度が得られるというものでもありません。この二つにある見えにくい差異が、タイトルの〈やめない人たち〉には込められています。

ウケで言えば、〈継続する人〉とした方がインパクトはあったでしょう。それならビジネス書的に読まれることもありそうです。でも、わざわざ回りくどい〈やめない人たち〉という表現が使われている。そこには、やっぱり意味があるのです。

今年の3月には、このブログも10周年を迎えようとしています。自分もいろいろ書いてきましたし、いろいろなブログを見てきました。ブログというものを、時間的厚みを持って眺めてきた、とは言えるでしょう。

そういう経験を経て、自分なりにこの本のタイトルをモジらせていただければ、こんな風になりそうです。

「ネットで成功したのは〈やめられなかった人たち〉である」

発信の原動力と、継続の動機付け

ブログをやっている理由というのは、人それぞれでしょう。

上の本に掲載されているアンケートの一つに「あなたがネットの活動を続けることができた理由はなんでしょう?なぜ続いてきたのでしょう?」があります。

よく読むと、この質問にはネットの活動を続けるのがそもそも難しいという前提が含まれていることに気がつきます。「なぜあなたは禁煙を続けられたのですか?」と聞くことはあっても、「なぜあなたはタバコを吸い続けられたのですか?」と聞くことはありません。ネットの活動は、前者のようなものだ、ということでしょう。おそらく一般的な認識も同じだと思います。

アンケートをつらつらと読んでいて、私が一番共感を覚えたのは、小林啓倫さん(@akihito)さんの答えです。

やはり、基本は「オレにも一言言わせてくれ!」という気持ちだと思います。(後略)

私も、そういう気持ちが強くあります。

何かを読む、何かを知る、何かを得る、何かを失う、何かを体験する__その後に湧いてくる「ねえねえ。ちょっと、これについてなんだけどさ」と言いたくなる気持ち。そういう気持ちが、ネット活動の原動力にあるような気がします。

しかし、誰もいない壁に向かって話し続けるのは苦痛です。くまちゃんのぬいぐるみに話しかける人も、そこに擬似的な人格を見いだしているから、そうするのでしょう。

たまたま偶然にも、

「オレにも一言言わせてくれ!」

と言ったことが、「えっ、なになに。おもしろそうじゃん」という感想を引き出してしまう。「それについては、オレはこう思うよ」と議論が始まってしまう。そういうフィードバックに巡り会ってしまうことがあります。ネットの先に、誰かを感じられるようになるのです。

それは端的な言葉を使えば「快」ですし、文字数を増やすなら「充足感」になるでしょう。

しかも、ネットの活動はパブリックなものであり、そこには多様な人が含まれています。もちろん、価値観も多様。生まれてくるフィードバックは、ランダム学習に最適な形です。

何を書いても面白いと言われれば、やがて書く方はつまらなくなるでしょう。もちろん、まったくリアクションがないのもダメです。パチンコと同じように、大半が外れるけど、一つか二つから大きなフィードバックが返ってくる。

そういう体験をしてしまうと、なかなか止められるものではありません。

仕事が忙しくなったり、ディスコメをもらったり、体調がすぐれなくて更新を休止しても、ついついどこかの時点で復活してしまう。あるいは新しいブログを始めてしまう。__続けてしまうのです。

最初のうちは、自分の書きたいことと書けることと受け入れられることのピントがあっていなくても、ついつい続けているうちに、徐々に景色がクリアになってくる。

きっと長く続いているブログでも、開始当初と今のスタイルはずいぶんと異なっていることでしょう(例外はあるでしょうが)。それは試行錯誤してきたとも言えますが、別の方向からみれば、なかなか止められなかった、とも捉えられるでしょう。どこかの時点で、「まあ、いいや」とポイ捨てできなかったのです。

自分の内側に言いたいことがあり、それを発信すれば誰かに届くかもしれないという想像を抱いてしまう。だから、ついつい書いてしまう。

それは誤解の可能性を了承した上で書けば、病のようなものなのかもしれません。

だからこそ、

〈やめられなかった人たち〉

なのです。

さいごに

もちろん、その病に突き動かされて発信を続けていれば、本当にそれが誰かに届くことはあります。でも、それはしょせん、結果の方から振り返った風景でしかありません。

継続していれば成功する、なんて確信はきっと誰も持っていなかったのではないでしょうか。「よくわからない」まま、ある種の病に突き動かされるように続けてきたら、こうなりました、というだけの話です。

一つだけ言いたいことは、それが病のようなものであるならば、表面的に真似することなんてできない、ということです。ですよね。

これについては続きます。

inspired by:「ブログ10周年、今から10年先に向けてブログを書くとはどういうことか?」(みたいもん)

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