物書き生活と道具箱

Frontbackはうまく使えないんだけれども

「Frontbackが、面白いよ」

という話を聞いて、しばらく前にアプリをインストールしてみた。

Frontback (フロントバック)
カテゴリ: 写真/ビデオ

が、どうにもうまく使えない。

何枚か写真を撮ってみて気がついたのだが、どうやら問題はFontbackにあるわけではなさそうだ。単に、私が写真下手なのだ。

Twitterで私をフォローしている人はご存じだろうが、私は滅多に写真をアップしない。パブリックな場にプライベートな写真をアップするのを避けている…というわけではなく、日常生活で写真を撮らないのだ。

私は風景を言葉で切り取る癖がある。ずっと物書きの窓から外の世界を眺めているのだ。言葉の世界に引きつけていえば、写真言語が私には圧倒的に不足している。

一枚の写真ですら苦労するのだから、二枚の写真を並べるFrontbackであればよりいっそうだ。

しかし、他人の作品(と呼ぼう)を眺め、自分でパラパラと撮影しているうちに、「なるほどな」という感覚がじわじわ湧いてきた。いまだに、Frontbackでうまい写真は撮れないが(※)、それについて考えてみることぐらいはできそうだ。
※アカウント名は、rashita です。

Selfie

最初にFrontbackの存在を知ったのは、以下のハングアウトオンエアーだ。

ライフハックLiveshow #77 「Selfie」

ここでは「Selfie」(セルフィー)の文脈でFrontbackが取り上げられている。辞書を引いてみよう。

セルフィーとは、自らを被写体としてカメラで撮影すること、および、そうして自分を撮影した写真や写真画像のことである。

Frontbackは、デフォルトでは二枚目の写真は前面のカメラになっている。ディスプレイがある方、つまり操作者の顔を写すためのカメラだ。

だから、普通にこのアプリで写真を撮ると、撮影する対象と、撮影している行為者が上下に並ぶ__そして間にハートマークが挟まる__という構図になる。ナチュラルに自分撮りが促されるわけだ。

一度やってみるとわかるが、これがなかなか緊張する。風景をシャッター1つで切り取ることは、気軽な気分で行えるが、その中に自分が入るとなるとそうはいかない。変な話だが、世界中の写真機がこの仕組みを持っていたら、野次馬根性丸出しの写真は激減するだろう。

ともかく、出発点はセルフィーだった。

相対化しきれない

一つの考え方として、写真に「誰がこれを撮影したのか」という情報を加えられる、と捉えることもできるだろう。普通、その情報は「メタ情報」として扱われるのだが、Frontbackではそれが作品の一部になっている。

そういう文脈で認識していたのだが、どうやらそんな単純な話ではないことに気がついた。そういう側面もある、というだけのことだ。

ポイントは、前後のカメラのシャッターが同時に切られるわけではない、という点だろう。

もし、そうであれば、否応なしに撮影する対象と撮影者が相対化される。時に力強い写真は、この世界の全てを表現しているように感じるが、それがしょせん一個人が切り取ったフレームでしかないことを提示してしまう。ある風景を切り取るときの、自分の表情が露わにされてしまうのだ。

しかし、実際には「時差」がある。表情は整えられるし、髪型はセットできる。

だから、Frontbackは対象と撮影者の相対化を目指しているわけではない。あくまで撮影者も作品の一部に過ぎないのだ。

新しいカメラ・メディア

セルフィーという考点を、一度リセットしてFrontbackを眺めてみる。

きわめてピュアに考えれば、Frontbackがやっていること(あるいはFrontbackでユーザーがやること)は、二枚の写真を並べることだ。

そういえば、撮影するとき画面をフリップすると前面カメラと背面カメラを切り替えられるのだった。
※以下の記事で知った

カメラアプリFrontbackに日本でもブレイクの兆し、おすすめユーザーと撮影のこつもまとめておきました #frontback(みたいもん)
Frontbackを楽しむための7つの定番構図(Lifehacking.jp)

シンプルに考えてみよう。たぶん、こう言える。

Frontbackは、複数のビューポイントを設定できるカメラ・メディアである。

ただし、この場合の複数は2でしかない。だったら「Frontbackは、2つのビューポイントを設定できるカメラ・メディアである」と書いた方が適切なのだが、「単数ではない」という点を強調したかったので、あえてこういう書き方をしてみた。普通のカメラは単数なのだ。

なんだか、当たり前のことを書いているような気がしてきたが、気にしないで続ける。

「写真を並べる」ことの、メディア的な意味

Frontbackは、おそらくこう言ってもよいだろう。

「ミニマムな絵コンテづくり」

あるいは、「普通の写真よりはメディア的厚みを持った写真」と言い換えてもよい。その厚みを、メタ情報の付加に使うこともできれば、時系列の表現に使うこともできる。もちろん時間が流れれば、物語が語れる。いろいろだ。

「写真を撮る」というのも、立派なメディア行為だが、Frontbackで「作品」を作っているときのメディア的思考は、映像メディアのそれに近い感じがする。あるいは、二コマ漫画だ。

なんであれ、Frontbackでは、普通に写真を撮るのとは少し毛色の違うメディア的思考法も必要とされるだろう。

そして、おそらくセルフィーという文脈を脱したら、Frontbackはさらに広がりを見せるはずだ。メディア的に、このツールは面白い。工夫を入れる余地があるし、アイデアを刺激する要素もある。

今回はあまり触れなかったが、間に挟まるハートマークもFrontbackのポイントだろう。

これは、一種の制約であるが、それが創造力を刺激することは間違いない。写真の並べることの本質ではないが、Frontbackらしさ、面白さを生み出している要素ではあるように思う。

使い方のアイデアとか

まだぺーぺーなので、たいした写真はないが、アイデアだけはいろいろ思いつく。

一つ、ピンときたアイデアを紹介しておこう。

世の中には「レート」という概念がある。iTunesなどを使っているならお馴染みだろう。「星いくつ?」という奴だ。あれは情報のタグとしては便利に使えるが、評価としてはいささか難しい。たった5つの基準で作品を評価しきれるはずがない。書籍や音楽にレートを付けていると、「よくできました」を生徒につけなければいけない先生の気苦労が分かる気がしてくる。

ある本が面白かったとして、それを全て星5つという評価で統一できるはずがない。面白さにもいろいろあるのだ。

であれば、Frontbackを使うのはどうだろうか。

一枚目で書籍__でもなんでもいい__を撮影し、二枚目で自分の表情を映す。なんならボディーランゲージを加えてもよい。それは、とても豊かに何かを語ってくれるだろう。簡単にビッグデータには取り込めない評価のスタイルが生まれるかもしれない。

表情が難しければ、親指を立てたGoodサインでもいい。親指一つでも、さまざまな「表情」を作り出せる。星4.52353532と星4.12535235の違いなんかも表現できるかもしれない。

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さいごに

しかしながら、今回あらためて感じたのは、自分は「こっちじゃないな」ということ。

(私にとって)写真は難しい。

それはそれとして、メディア的な厚み(でもわずかな厚み)を持つものが出てきているのは、面白い。以前、Tumblrで「目標は単一の手法だけで扱えるのか?」というお試しポストを投稿したが、これも複数のビューポイントを並列に配置したものと言える。

たとえば、Twitterのつぶやきを二つだけまとめるツールとか、つぶやきとWebクリップを並べるとか、そういうツールが出てきても良いんじゃないかと思う。

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