梅棹忠夫、Evernote、Siri

ずっと、この記事が引っかかっていました。

もし梅棹忠夫がiPhoneとEvernoteを使っていたら ― ウメサオタダオ展に行って案の定震えた(なんかカラフルな生活)

2012年2月10日のエントリーなので、そろそろ2年です。

いまだに消化したとは言えませんが、二つだけ書いてみます。

膝の上のタイプライター

フィールドワークの移動中、梅棹さんはゆれる車の中で、膝の上にタイプライターをのせて、ぱたぱたとキーを叩いておられた、という話を聞きました。

ようするに、ラップトップです。

おそらくタイプライターは「机の上に置いて使うもの」だったと思うのですが、そんな固定観念はみじんも窺えません。「そのように使えるから、使う」というきわまった<実用ありき>の姿勢がみてとれます。

現代なら、ポメラがその役割を担ってくれるでしょう。Evernoteとも連携できちゃいますしね。

「目的に合致した道具を使う」

きわめて当たり前のことなのですが、「このツールは、こう使おう!」がいつのまにか「このツールは、こう使わなければならない!」に変換されていないかが心配なのです。

「こう使わなければならない」は、<実用ありき>とはまったく逆の精神的姿勢です。

現代の技術がもたらすもの

Evernoteと梅棹さん。

この二つのフレーズで連想するのは、技術的に前に進んだ一種のSF的なシーンです。

60代の半ば、梅棹さんは目を悪くされました。

印象的なエピソードがあります。

秘書に「あのカードが、あの辺りに置いてあるから取って」と頼んだら、見事にそのカードが見つかった。目が見えなくて、自分では探せないカードを代わりに見つけてもらえたのです。これは「うまく情報整理できていましたね」なんて軽い話ではありません。

ちょっとイメージしてください。あなたは目を悪くしてしまいました。

しかし、ぱっとiPhoneを取り出し、Siriにこう話しかけます。

「たしか2010年ぐらいに、デジタル時代の情報カードについて何かメモしたと思うんだけど」

Siriは__APIを通じて__Evernotを検索し、見つかった何枚かのノートを読み上げてくれます。そこではキーボードの入力も、ディスプレイへの出力も必要ありません。あなたは探していたメモをFindし、それを元に新しい連想を書き留めていきます。もちろん、あなたはマイクに向かって口述するだけで、実際に書き留めるのはSiriです。

書き終えたあなたは、「これをPublishしておいて」とSiriに告げます。Siriは「わかりました」と言った後で、最初に引っ張り出したノート情報を参照して「タグに<知的生産>を付けておきますか?」と提案してくれます。「よろしく」

知的生産が一つ終わりました。

現状、こういうことはまだできません。でも、まったく不可能というわけでもないでしょう。

さいごに

私はアナログノートも大好きですが、アナログノート単体で、こんなことはできません。さすがに身の回りに知的生産を補助してくれる秘書を抱えられる人は少ないでしょう。

アナログにもデジタルにもそれぞれ良さがあるわけですが、デジタルは何かを超えられる可能性を秘めています。

「もし梅棹忠夫がiPhoneとEvernoteを使っていたら」

たぶんこの問いは、__表面に見えるよりも__ずいぶん奥深いものなのだと思います。

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