6-エッセイ

冷蔵庫の裏のほこり

台所で、おにぎりを握っていた。妻がお弁当代わりに持っていくおにぎりだ。

すこぶる楽しい作業とは言えないものの、手を動かして何かを形作っていく行為にはどこかしらワクワクする気持ちを感じる。台所に潜むクリエイティビティー。

二つ目のおにぎりが綺麗に仕上がった後、ふと冷蔵庫の裏側が気にかかった。その冷蔵庫は壁にギリギリまで近づけてあり、深淵を覗き込むような暗さが壁と冷蔵庫の間にはある。普段は、まったく気にかけない場所だ。なぜそんな場所が気になったのかは、よくわからない。

ともかく、ぐいっと体を乗り出して、裏側を覗いてみると、白に近い灰色のほこりがたくさん積もっていた。

そりゃそうだ。こんなところ、ここ数年掃除してなかったものな。

掃除しなければ、ほこりが溜まる。当たり前の話だ。普段使わないような場所ならなおさらである。

でもその時、僕はこうも思ったのだ。

もし、ここが綺麗であっても、たぶん何も感じなかっただろうな、と。

ほこりの溜まらない場所

結婚して、改めて気がついたことではあるが、部屋は誰かが片付けないと自動的には綺麗にならない。そして、人が生活すれば、何かしら散らかっていく。エントロピーは拡大していくのだ。毎週決まった日にゴミを捨てること。それが人生であり、生活するということである。家事に終わりはない。

だから、もし誰かが住んでいる部屋が綺麗に片付いているのならば、誰かがそこを片付けているのだ。

今、とても当たり前のことを書いている。でも、僕たちはときどき、そのことを忘れてしまう。

きっと、冷蔵庫の裏を覗いたとき、そこにほこりが一つもなかったら、「ここはほこりが溜まらない場所なんだ」と僕は思ってしまうことだろう。妻が毎週そこを掃除している可能性など頭にも昇らないはずだ。人間の認識なんて、だいたいそんなものである。想像しえないものは、存在しないに等しいのだ。

特に、何かの状態を維持するためのコストは非常によく見落とされる。あたかもエントロピーなど存在しないかのように。

いつでも対応できます

自動車が走りやすい道路がある。24時間買い物できるコンビニがある。困ったら警察や救急車が駆けつけてくれる。ネットで注文すれば配達してくれる。日本中どこでもハンバーガーが食べられる。電気がある、ガスがある、水道がある。

それらを最初に作り出したとき、きっと瞬間的には大きなコストが支払われたのだろう。

でも、それを維持していくためにもコストがかかる。その状態を保つのは、タダではないのだ。誰かしらの労力が、お金が支払われている。

コンビニの店長をしていたとき、深夜12時か1時ぐらいだっただろうか、突然レジが動かなくなった。レジが動かないと、コンビニ業務に大きな支障をきたす。そこで、本部から連絡されている番号に電話をかけた。結局1時間ぐらいで対応する人が来店してくれ、パーツ交換やらなんやらをしてくれてレジは無事復旧した。

僕はそのことに強い驚きを感じたことを今でも覚えている。全国にはコンビニが5万店ほどあるが、それらのレジが深夜いつ壊れても対応できるような人員態勢があるのだ。そのコストはどれぐらいなのだろう、と。もちろん、一店舗一人というわけではないだろうし、待機している人員はコンビニ以外のレジ対応にも駆り出されるのだろう。でも、そこに深夜起きている人がいることだけは確かなのだ。

そんなことを言えば、夜の10時から朝の6時までコンビニで働いているスタッフだってそうであるし、勤務時間中来店するタクシーやトラックのドライバーだってそうだ。普段目にすることのない人のたちの働きで、支えられているものは、この世の中にたくさんある。そして、そこにはコストが発生する。

ある人が「これは無駄だから必要ないでしょ」と断じたところで、実はそう言った人が何も見えていないかもしれないのだ。

さいごに

クリエイティビティーには敬意が払われる。でも、作り出したものを維持していくことにも敬意が払われてしかるべきなのだ。

残念ながら、その価値は失われてからはじめて発見されることが多い。

ほこりの溜まった冷蔵庫の裏を眺めて、ほこりが溜まっていないその他の場所を掃除してきた誰かに感謝するように。

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