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歴史を伝えるということ。宮沢喜一氏の死に思う

宮沢喜一元首相が亡くなられました。

宮沢元首相死去:「クールでドライ」 保守リベラル貫き

 護憲・ハト派の代表的存在だった宮沢喜一元首相が28日、死去した。「保守本流」を自負しながら、首相の座を射止めたのは72歳の時。在任中に自民党が分裂し、非自民政権誕生を招いたが、一方では「クールでドライ」とも評された。弔問に訪れた関係者は「安らかな顔だった」と、保守リベラルを貫いた大物政治家の冥福を祈った。

われわれの世代の感覚だと、年老いた政治家というイメージしかあまり無いかもしれませんが、戦後から今までの日本の政治に本当に長い間かかわり続けた人であった、ということはキチンと意識しておくべきでしょう。

宮澤喜一(ウィキペディア(Wikipedia)

なんかを読んでいると、NHKの歴史ノンフィクション系を読んでいるような楽しさもあります。実際日本の戦後政治の遍歴というのは読み物としても十分面白いものなんだなぁと感じます。最近の政治はそうでもないですが。

古い政治家=頭が固い、と一方的な見方ではなく、政治家と政治屋がいるという見方のほうがより真実にせまっているかもしれません。そういう見方で今の日本の政治家を眺めてみると・・・。やや経験の長い議員の方はちょっと首を傾げたくなる人が多いですね。
日本の伝統というものが、政治の分野ではどように継承されているのでしょうか。
田中角栄以降の金権政治というのは相変わらずですが、それより前からの戦後の「これから日本を作っていこう」という大きな気概というのは、世襲制という殻だけを残して消えてしまったかのようにすら感じます。

日本の「保守」すべきものというのは一体なんなんでしょうか。
この国の経済的な利益でしょうか。この日本国の領土でしょうか。それとも国民一人ひとりの命、あるいは長年受け継がれている伝統ということもあるでしょう。

日本は今いろいろな問題にぶつかっています。財政、外交、国内の治安・・・問題はいくつもありますが、それでも他国と比較すればまだマシな状況といえるかもしれません。
しかし、そんな比較には大して意味がないように思えます。
ほとんどの政治家が問題の改善を訴えかけることをしていても、「日本をどのように創るのか」というビジョンは示せていません。
これからは地方分権、小さな政府が目指されることでしょう。そのような政治形態の中では力強い指導者がリーダーシップを発揮して国民をまとめ、ひっぱていくという方法はあまり効果を発揮しないでしょう。
国民一人ひとりが、小さな形であれ政治に参加し、日本についてのビジョンを持って選挙に参加するということが、この国を作っていくということになるのだと思います。

そういう状況になったときに、日本という国がたどってきた政治の歴史というのは大変大きな意味を持つものだと思います。が、今の日本の教育では戦後以後の政治というのは本当に簡単にしか語られておらず、曖昧な知識どころかまったく知らない人も大勢いるのではないかと思います。
「愛国心」を教えることよりは、こういった歴史の重みを感じてもらうことのほうが、本当の意味での国のことを考える人間になると思うのですが、教育にかかわる政治家の方々はどのように考えておられるのでしょうか。

最後に、宮沢元首相のご冥福をお祈りします。ガラスのそちら側から日本はどのように見えているのでしょうか・・・。


6 thoughts on “歴史を伝えるということ。宮沢喜一氏の死に思う

  1. 宮沢さんの最後の言葉は「少し休ませてください」だったそうですね。
    うらやましい最後です。
    ギラギラ感のない、頭のいい政治家、今いるんでしょうか?

  2. >emichan/su さん
    頭のよい政治家というのは民主党の若手の中にもいるんですけども、どうも脂ぎってるんですよね。まあ政治家という性質上仕方が無いのかもしれませんが。

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