「タスク」の研究

タスクリストの不思議

タスクリストに不思議を感じたことはないだろうか。

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小さなメモ帳に「やるべきこと」を書き並べ、実行したものを一つ一つ消していく。

日常的に見られる風景だ。でも、なぜこんなことができるのだろうか。

言い換えれば、なぜ私たちは、ただ紙の上に書いただけのものを実行に移すことができるのであろうか。

当たり前?本当に?

「そんなこと、できて当たり前じゃないか」

とあなたは言うかもしれない。でも、本当にそうだろうか。それは当たり前のことなのだろうか。

もう一度タスクリストに立ち返ってみよう。

タスク管理に興味がある人ならば、最初の写真で掲げたようなタスクリストを一度ぐらいは作ったことがあるだろう。で、作成した直後は、わりと順調にタスクの消化が進んだはずだ。さくさくと、まるで自分がイケてるビジネスパーソンになったような感じで。

ミクロ的に見れば順調だ。では、マクロ的にみればどうだろう。

一週間経ち、二週間経ち、三週間経ち。

だいたい四週間目には、もうそのタスクリストは機能しなかったのではないだろうか。つまり、そこに書き付けたタスクが実行できなくなっていたのではないだろうか。別に見栄を張る必要はない。多くの人が同じような体験をしているはずだ。

仮に四週間目でタスクリストが機能不全を起こしたとしよう。つまり、実質機能していたのは3週間だ。それ以降は、タスクリストはただの紙と化し、その上に踊る文字たちは静かに沈黙し続けている。一年を通してみれば、じつに11ヶ月以上も機能しない期間があることになる。

さて、もう一度疑問に立ち返ろう。

ただ紙の上に書いただけのものを実行に移すことは、当たり前なのだろうか。

むしろ、タスクリストを書いた直後が何かしら特別な状態であり、そうでない期間の方が当たり前ではないだろうか。

問うべき疑問

ここで、タスクリストの「鮮度」という概念を導入しよう。

別に難しい考え方ではない。タスクリストを作成してからの時間を表現するものだ。作成した直後のタスクリストは「鮮度」が高く、時間が経てば、それが低くなる。釣った魚と同じだ。

実体験として、タスクリストの鮮度が高いうちは、そこに書かれたことを実行に移すのはさほど困難なことではない。しかし、鮮度が落ちてくるにつれ実行するのが難しくなってくる。もう少し言えば、「やる気が起きない」状態になる。

そして、その「やる気が起きない」状態がデフォルトだと仮定しよう。やる気が起きなくて当たり前、と考えるのだ。これは別に自堕落主義への邁進というわけではない。むしろ厳然たる事実だ。ごく普通に作成されたタスクリストは機能しない時間の方が長いのだから。

だとすれば、注目すべきは「なぜ私たちはタスクリストのタスクが実行できないのか?」という疑問ではなく、「なぜ私たちはタスクリストのタスクが実行できるのか?」という疑問になってくる。

前者の疑問に注目してしまうと、どうしても「私がダメ人間だから…」といった答えになりがちだ。もちろん、それは何の説明にもなっていない。言葉が循環してしまっている。しかし、その状態を<標準>と考えれば落ち込んでいる暇はない。そこから何ができるのかが問われるようになるのだ。

たとえば、こんな疑問を立ててみよう。

なぜ私たちは鮮度の高いタスクリストなら実行に移しやすいのか?

これについて考えるのは前向きで建設的な思考である。もし、その仕組みがわずかでも見えてくれば、その他の行動にも応用できるはずだ。

さいごに

鮮度の高さと、実行の移しやすさの関係には、きっと心理学的な説明がつけられるだろう。が、それを掘り下げていく余裕は本稿にはないので、また回を改めたい。

最後にもう一度書いておくが「書いたタスクを実行できて当たり前」と考えるのは止めておいた方がよい。それは、どちらかといえば異常な事態なのだ。タスクリストの鮮度が高い時だけに発生する、特別な事態なのだ。

そのような視点に立てば、タスク管理ともう少し緩く、されど深くつきあえるようになるだろう。

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