4-僕らの生存戦略

ほめる特殊の技術 あるいは批評について 

小林秀雄の『考えるヒント』に、「批評」という短いエッセイがある。

考えるヒント (文春文庫)
考えるヒント (文春文庫) 小林 秀雄

文藝春秋 2004-08
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批評家が書いているわけだから、自分の仕事に関するお話だ。

そのお話の中で、彼は「自分が書きたいように書いたら批評になった。はじめから批評を目指して書いていたわけではない」という旨のことを告げている。だから、批評家になるためのアドバイスを求められてもうまく答えられない、ともある。最近のブログ界隈をめぐる話と照らし合わせると興味深いわけだが、それは本題ではない。

彼はそこから自分の批評的気質を分析し、過去の批評作品を振り返ったうえで、次のように書いている。

そこで、自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものは、皆他人への賛辞であって、他人への悪口で文をなしたものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術のことだ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反している精神的態度である、と言えそうだ。

ずいぶん思い切った発言だが、私はこの文章をわりとすんなりと飲み込んだ。そして何人かのブロガーの顔(というかアイコン)が浮かんだ。

たとえば「極東ブログ」のfinalventさんだ。

finalventさんはcakesにて『新しい「古典」を読む』という書評記事の連載を書かれているが、そこには「けなす」ような精神的態度はみじんもみられない。じゃあ、薄っぺらく賛辞しているのかというと、やっぱりそうでもない。「ほめる特殊の技術」なのだ。

過去にこんな記事があった。

教養について(極東ブログ)

教養の基礎とは「人の知性を快活にさせること」だ。そして、その「人」というのは、すべての層の人を含む。

『新しい「古典」を読む』をお読みの方ならば、この「知性を快活にさせられた」感覚がわかるのではないだろうか。強いプロモーション力によってその本が買いたくなった、とはまったく異質の何かがそこにはある。ちなみに、『考えるヒント』も同じような感覚が味わえる本である。

ほかにも思い浮かんだブロガーというと、「みたいもん」のいしたにまさきさんがいる。

この人も「ほめる特殊の技術」をお持ちである。ただし、それは「批評」という枠組みには嵌っていない。きっと、自分が書きたいように書かれているのだろう。ともあれ、なにか他の人が気がつかないような「おもしろさ」を見つけられるのが、実にうまい。「おもしろがれる力」が強いと言ってもよいだろう。

実は、私はいしたにさんの140字版プロフィールにある、

Webサービス・ネット・ガジェットを紹介する考古学的レビューブログ『みたいもん!』運営。

をあまりうまく飲み込めていなかった。考古学的レビュー? 最新のガジェットやWebサービスを紹介しているのに? と思っていたわけだ。

しかし『考えるヒント』の「批評」にある以下の文章を読んで、そうめんのようにするりと飲み込めた。

ある対象を批判するとは、それを正しく評価する事であり、正しく評価するとは、その在るがままの性質を、積極的に肯定する事であり、そのためには、対象の他のものとは違う特質を明瞭化しなければならなず、また、そのためには分析あるいは限定という手段は必至のものだ。

引っかかったのは「明瞭化」という言葉だ。明瞭化しなければならないということは、その前段階では曖昧・漠然としている、ということだろう。つまり、一見しただけではわかりにくいわけだ。それらをうまく見つけ出さなければならない。発見しなければならない。掘り出さなければならない。

掘り出す?

発掘だ。考古学に発掘はかかせない。

ある対象から、その特質を発掘する。そのためには、何かを他と比較したり、並べたりが役に立つ。そうして掘り出したものを、積み重ねることでまた別の何かが見えてくる。なるほど。そういう視点を持つと、いろいろな理解がすすむ。

「在るがままの性質を、積極的に肯定する事」は、きっとそんなに簡単なことではない。むしろ、積極的に否定したり、無視したりする方が楽だろう。

なにせ、それは「不明瞭」なものなのだ。意図を持って、意志を持って見つめなければ手に入らない。

しかしながら、プラスがプラスを呼ぶようなサイクルは、こうした行為からしか生まれてこないのではないかとも思う。

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