『知的生産の技術』にこんなことが書かれている。
知的生産の技術 (岩波新書) |
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梅棹 忠夫
岩波書店 1969-07-21 |
くりかえしていうことだが、私たちの社会の、制度化された教育体系では、達成された成果を次代につたえることには、なかなか熱心であったが、その達成までの技術を開発し、発展させようという気もちは、あまりなかったようにおもわれる。技術の開発と発展のためには、成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつである。ところが、そのほうは、信じられないくらいおそまつなのである。
技術を発展させていこうと思えば、「成果よりも、それにいたるまでの経過の記録と、その分析がたいせつ」なのだ。
だからまず、記録しなければならない。しかも、単発の記録ではダメだ。「それにいたるまでの経過」の記録が必要なのだ。後から思い出して書く、という行為は時間が経てば経つほど曖昧になっていく。だから、できるだけこまめに記録を付けることだ。
作業記録というのは、まさにこのためにあるといってもよい。そこにはうまくいった事例だけでなく、うまくいかなかった事例も載るだろう。それもたくさん。
そして、それを分析する。分析するためには、その記録を見返すことが必要である。見返すためにはアクセスできなければならない。記録したけど、どこに保管したのかわかりません! では話にならない。記録したものを、後からきちんと引っ張り出せる環境が必要だ。
記録を引っ張り出したら後は分析である。良い点や悪い点を考え、改善方法を模索する。なにも一人だけでやる必要はない。経過が記録されていれば、他の人がそれを分析することだって可能になる。それこそが、記録の力でもある。ブログなんていうのは、うってつけの場であろう。
だから私はEvernoteに作業記録を残し、こうやってブログを日々更新している。
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