0-知的生産の技術

偉大な小説の時代が終わったんなら、新しくはじめればいいと思う

inspired by 偉大な小説の時代はもう終わった? 時間不足と中断の時代の作品と読書(Lifehacking.jp)

ここ最近で、長編作品をじっくりと読んだのはいつだっただろうか。

2013年4月には『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を朝一番にゲットし、そのまま一日かけて読んだ。でも、これは長編とはいえども大作ではない。もっとさかのぼると2009年の5月に『1Q84』のBOOK1とBOOK2を読んでいる。これはのめり込むように読んだ。まさしく没頭したと言ってよい。

そこから5年の歳月が過ぎ、そんな読書体験はほとんどなくなった。

何かが変わってしまったのだ。

もちろん、それは私に関する何かの変化だ。作品が悪いわけではない。

大作との距離感

偉大な小説と聞いてまず思い浮かぶのは『カラマーゾフの兄弟』である。

人の名前もさることながら、物語がものすごく長い。でも、20代序盤のころは、そんなことは全然気にならなかった。むしろ、ハードモードに挑むゲームプレイヤーの気持ちがしたものだ。

でも、いま『カラマーゾフの兄弟』を手に取るかというと、かなり微妙である。長すぎる。そんなものを読むような時間的、心理的余裕はないような気がしてくる。妻から誕生日プレゼントにもらった『巨匠とマルガリータ』と『ハワーズ・エンド』も、時間ができたら読もうと本棚に置いておき、いつしか奥の方へと移動してしまった。

時間がない?

それは嘘だろう。私は毎日のように益体のないブログを読み、タイムラインを眺めている。文字を読む時間がないはずがない。

しかし、『それでも、読書をやめない理由』で著者のデヴィッド・L・ユーリンが指摘している次の点は重要だろう。

本を読むにはある種の静けさと雑音を遮断する能力が必要だ。過剰にネットワークが張りめぐらされたこの社会では、それを得ることは次第に難しくなっているようだ。

たしかに本を読むには、ある種の結界を張るような力が必要である。大作であればあるほど、要求される力も大きくなる。だから、私は読む前から怖じ気づいてしまうのだ。そんな力は今ないだろう、と。

Twitter病

実際読み始めても問題はある。

2007年以前ではまったく考えられなかったのだが、Twitterが気になってきてしまうのだ。タイムラインを確認しないために抑制が必要なくらいである。

結局、本の世界とタイムラインを行ったり来たりしてしまう。それはそれで新しい体験であるとも言えるし、何かが失われてしまったとも言える。

鵜呑み

「鵜呑み」という言葉がある。英語で何というのかはわからない。ともかく、食べ物を噛まずに飲み込んでしまう行為を指す。それが転じて、誰かの話をその真偽を確かめずに受け入れること、といった使われ方もする。

「鵜呑み」の良いところは、時間がかからないことだ。するっと飲み込んでしまえば、目の前から餌は消えて無くなる。逆に言おう。捌こうとする情報の量が多くなればなるほど、私たちは鵜呑みを迫られることになる。

本を読んでいるとき、Twitterが気になるのは、悪い面と良い面があるように思う。

もし誰かからのリプライが来ていないかが気になっているなら、それはあまり良くないことだ。読書の最中にそれは必要ない。

しかし、もし読書の最中に考えたことをつぶやきたいと思っているなら、それは悪くいないと思う。全然悪くない。それは、本の欄外に読書メモを書き込むのと同じようなことだからだ。鵜呑みではなく、自分の頭を働かせている。

ライトノベルという箱を使う

話を元に戻そう。

私は今確かに『カラマーゾフの兄弟』を手にするようなことはしない。しかし、それは文字を読んでいないのとイコールではない。

たとえば、『ソードアート・オンライン』というライトノベルは、現在14冊発売されている。それを積み上げればちょっとした山である。もちろん、私は全巻読破済みだ。さらに、同じ作家の『アクセル・ワールド』にいたっては16冊も発売されている。両方合わせれば30冊だ。

読んでいる方はご存じだろうが、この二つの作品は別の世界でありながらも共通した要素を持っている。それは、あるシリーズの登場人物が別のシリーズに登場する、といったものではない(出てくる場面もあるのだが)。私たちが生きていく上で大切なもの__作品中では”シンイ”と呼ばれている__を、違った視点から眺めているのだ。

別の見方をすれば、著者はあるコンセプトを表現するために、重厚な一つの作品を使うのではなく、二つの作品の合わせ技を駆使しているとも言えるだろう。それも、エンターテイメントの舞台の上で。

私は、これをとても現代的な手法だと感じる。

ブログだって

現代にはブログがある。

ブログは本とは違う。先ほどあげた『それでも、読書をやめない理由』でもブログはあまり好意的には扱われていない。

でも、本当にそうなのだろうか。紙で綴じられた本だけが有するものがあり、ブログはその代わりを決して担えないのだろうか。

ユーリンは読書について次のように述べている。

それはつまり、本とは一対一で向かい合うものであるという意味において基本的に関わり合いそのものであり、本は背景を必要としており、作家の立場や環境を映し出すとともに、ひとつの状況、ひとつのストーリーを提示する、ということだ。

現代の情報摂取は、どんどんこの「背景」をはぎ取ったものへと移行している。TwitterでRTされた記事を読むのは、背景ゼロの情報摂取である。キュレーションメディアでも同様だろう。

でも、RSSに登録して、毎回そのブログの記事を読むのはどうだろうか。

おそらく、この記事を読んでいる人の中には、R-styleを初めて読んだという人もいるだろう(はじめまして)。でも、そういう人ばかりでもないはずだ。

これがR-styleの記事である、ということを強く意識して読んでいる人もいるだろうし、その人の中には、私が物書きをやっていたり、村上春樹が好きだったり、ライトノベルを書いていたりするのを知っている人もいる。そういう人たちは、ここに書かれた文章や言葉を、すこし深く(あるいは立体的に)捉えることもあるだろう。

一週間前にこの人はこういうこと書いていたな、と知っているだけで、情報の受け取り方は微妙にでも変わってくるものである。

ブログというメディアは、アクセス経路が検索であれば、どうしても断片的に読まれてしまう。それはブログメディアが背負い込んだ宿命とも言えるだろう。でもそれは、全ての読み手に対して同じ、というものでもない。

本は背景を必要としている。でも、背景を与える方法は一つとは限らない。

さいごに

新しい時代には、新しい「本」の在り方があるように思う。

そして、書き手たる存在は、既存の体制にあぐらをかいて本を書くのではなく、どうすれば読者にメッセージを届けられるのかを、真摯に追求すべきである、とも思う。

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