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国家の機能 ~カンバスは白紙たるべきか~

6月の失業率3.7%、有効求人倍率も3カ月連続で上昇

総務省が31日発表した6月の完全失業率(季節調整値)は前月比0.1ポイント低下の3.7%だった。4月に3%台を回復し2カ月連続で3.8%となっていたが再び低下した。厚生労働省が発表した6月の有効求人倍率(同)も前月を0.01ポイント上回る1.07倍と3カ月連続で上昇。雇用情勢は改善している。ただ労働者の賃金はマイナス傾向が続いている。雇用改善が物価にどう波及するかは依然として不透明な状況だ。

雇用情勢は改善されているのだろうか。このあたりの感覚はちょっとわからない。数字上の失業率が改善しているというてん、求人倍率もあがっているという点はあるが、それほど目だった数字ではない。むしろ注目したいのは賃金のマイナス傾向のほうである。

6月の現金給与総額、7カ月連続で減少・賞与減響く

厚生労働省が31日発表した6月の毎月勤労統計調査(速報、従業員5人以上)で、すべての給与を合わせた現金給与総額は前年同月比1.1%減の46万5174円で7カ月連続で減少した。賞与を示す「特別に支払われた給与」が19万4184円と2.3%減少したことが影響した。

業種間の差異はあるだろうが、全体で平均を取ると給与は下がっているということだ。
一人頭の取り分が減り、その分で求人が増えているということだろうか。

高給を得ていた段階の世代が退職し、それが再就職や新規雇用につながることにより平均賃金というのは落ちていく。おそらくはそういった現象が数字に現れているのであろう。

しかし、すくなくとも多くのサラリーマンの給与が目だって上がっていない、ということは間違いないだろう。

このところ物価の上昇が目立つ。電気やガス、そしてガソリン。徐々に物価の上昇、つまりインフレへの圧力が高まっている。しかし賃金は上昇してきていない。
よく、「景気回復の影響はいまだ中小企業までまわってきていないようだ」というような景気観測があるが、果たしてその観測は正しいのであろうか。上のような言い方には、
今はまだちょっと厳しいかもしれないが、時間がたてばみんな幸せになれるよ、というような含みがある。

そのような認識は現代に至るまでの日本では十分通用していた。しかし経済の仕組みが変わりつつある中で、大企業の景気の良さが時間を経て中小企業にまで広がるという絶対的な保障はもう無いのかもしれない
大きな企業であるほ市場は世界に開かれる。マーケット、労働者それぞれが世界に開かれている。いかに作り、いかに売るか、ということをグローバルな視点で考えていかなければならない。そういうのが当たり前に成りつつなる中で、大企業→中小企業という構図はもう崩れつつあるのかもしれない。

おそらくこのまましばらくは「景気回復の影響は・・・」というようなことが言われ続けるのではないだろうか。そしてそのまま体力を持たない中小企業がつぶれていく、というような形をどうしても想像してしまう。この日本社会全体が、あたらしい経済体制に向けてシフトしていかなければならないなかで、いまだに政局ひとつまとまらないこの日本は一体どうなっていくのだろうか。
経済を立て直すというお題目は大切である。しかしその経済という言葉がこの国民全体に影響を与えるものなのか、それを使う政治家の意図をわれわれはきちんと精査しなければならない。

今は切断と接続が極端な形で現れている。日本にすむ人々はいろいろな意味で切断されている。個々のつながりが薄いというだけではない、以前はきちんとリンクしていた良い学校→よい会社というリンクも切れつつある。今まで接続されていたいろいろなものが切断され、新たな接続先を探している。
逆にネットの著しい普及により、個人がさまざまな対象とつながれる可能性を得ている。それは国や会社や社会が用意したリンクではなく、個人が自分自身で選べるネットワークである。
いろいろな情報を参照し、いろいろなデータをダウンロードし、いろいろな人と会話し、いろいろなビジネスを提案できる。

自分でうまくネットワークを構築できる人はさまざまなものとつながることができる。
それができない人は、誰かが用意したネットワークで我慢するか、その構造から完全に取り除かれるかの二択しかない。

雇用をめぐる環境が変わりつつあるなかで、当然のように労働者もその変化に適応しなければならない。そうでなければ、不本意な仕事を不本意な給料で続けなければいけない状況に追い込まれてしまうだろう。

そういった意味でこれから社会人になる人たちはさまざまな可能性を持っているし、それとともにある種の困難さも同時に抱え込まされてしまっていると思う。
若者が職や社会のあり方について困惑を覚えるのは当然のことだろう。
人は完全に自由な状態で選択を行うのは相当に困難であろう。制約された中でいくつかの可能性を検討し、最大限の結果を得ることはある程度容易である。
社会のシステムから放り出された若者は、まったく白紙のカンバスに自分の将来を描いていかなければならない。日本社会は未来について輪郭線を与えることすらできていない。
彼らが頼れるのは自分自身だけなのだが、それをはっきりと告げる人間はそれほど多くない。それを告げられない親は子どもの面倒を見続けるしかない。

現実は冷酷であり、時間は流れ続けている。

ひとつの国において、「歩んできた歴史、伝統を引き継ぐこと」「そこで生きる子どもが未来に希望を感じられること」この二点以外に重要なものは何ひとつ無いような気がする。

歴史や伝統が置き去りにされているのであれば、その国がその国である理由というのはまったくなくなる。別にほかの国の属国・植民地であってもかまわないことになってしまう。地球上のさまざまな地域でさまざまな文化が存在し、それが今でも残っている。
それが残っているということだけでそこには意味がある。
歴史や伝統を引き継ぐというのは単に良い面だけを受け取る、ということだけではない。
犯した過ちや、方向性の失敗なども過去の教訓として刻み込むということだ。

「伝統は、遺産でもあり、重荷でもある」というのは私の好きな言葉の一つだが、これは国だけに通用するというものでもない。一人の人間、ひとつの会社においても通じる言葉であると思う。

もうひとつの「そこで生きる子どもが未来に希望を感じられること」というのも重要である。当然
子どもがきちんと尊重される社会であるということとともに、社会にいきる大人たちが自ら肯定して生きているということが必要になってくる。野球のイチロー選手や松井選手を見てプロ野球選手、メジャーリーガーにあこがれる子どもたちは多いだろう。しかし今の朝青龍を見て力士に憧れを感じる子どもがいるだろうか。
それは会社勤めのサラリーマンにだっていえることだ。社会で生きる人々が努力し、結果を残し、満足感を感じているという姿が子どもに自分たちが生きる希望を与えるのではないだろうか。

「歩んできた歴史、伝統を引き継ぐこと」「そこで生きる子どもが未来に希望を感じられること」というのは国の基本的な機能を表しているように思う。それは過去と未来をつなぐものだ、ということだ。今この瞬間存在し続けることしか頭に無い国というのは国として体をなしていないとすらいるのかもしれない。

今の日本は果たしてその二点をうまく満たせているだろうか・・・。

2件のコメント

  1. 私には、国が出す統計の数字は、もうほとんど当てにならないように見えます(毎月勤労統計調査は調査対象が既存の業種に偏っているので注意が必要)。

    物価や消費に関する統計にテレビ通販やネット通販の数字が反映されているかは分かりませんが(少なくとも小売物価統計調査には反映してないですね)、今の社会の激しい変化に統計が付いていっていないという感覚は結構前から持ってます。

    景気の偏在は顕著ですし(今は好景気の恩恵に与っている身としては、「景気のいいセクターがある」ということは実感のある話です)、もう時間が経てばみんな幸せになれる時代は来ないと思っています。

    でもまあ、昔はほとんどの人が貧乏だったわけで、その昔の感覚を持っている、段階より上の世代から見たら、今の若者は何を贅沢言ってるのかってことにもなるかもしれませんが。

  2. >karesansui さん
    統計数字の基準と成るものが時代に適していないという感覚は確かに私も感じます。

    豊かさの基準というものも変化しつつあるというのは確かですね。豊かさに慣れきった世代には上の世代との感覚的な意思の疎通というのは難しいのかもしれません。

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