「与える戦略?」
「そう。与える戦略だ。まず君があたえる。与えて与えて与えぬく。すると……」
「すると?」
「何かが返ってくる。必要以上に与えたその分が返ってくる」
「それが与える戦略?」
「その通り」
「与える」戦略
毎週配信しているメルマガで、「僕らの生存戦略」という企画を連載していました。
その企画では、現代で生きづらさを感じている人がいかにすれば少しでも生きやすくなるか、という「戦略」を考えていたのですが、そこで出てきたのが「与える」戦略です。
この戦略の発端は『与える人が与えられる』という本なのですが、その本では、他人に与えた人の方が結果的に多くのもの得られるというある種の<人生法則>が紹介されていました。で、その法則は私の周りを見渡しても頷けるものがあります。
たしかにそうだな、と思った反面、次のような疑問も思いつきました。
「与えたら、自分に返ってくるから、まず最初に与えよう」というのは、「自分は何を与えられるか」をまっさきに考える人と同じなのかどうか?
という疑問です。
時間平面を細切りにすれば、両者の「与える」行為は同じに見えます。であれば、問題ないのでしょうか。
本書は、その疑問に一つの答えを与えてくれました。
GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代 |
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アダム・グラント 楠木 建
三笠書房 2014-01-08 |
ギバーとテイカーとマッチャーと
本書の要点は、ずばっと言ってしまえば「情けは人の為ならず」の一言に尽きるわけですが、もう少し膨らませて箇条書きにすると、
- 人の行動パターンを類型化すると、ギバー・テイカー・マッチャーに分かれる
- 大半はマッチャーで、少数のギバーとテイカーがいる
- ギバーは、まず相手に与える
- テイカーは、相手からもらうのに必死
- マッチャーは、もらったら返す
- ものすごく成功する人はたいていギバー
- でも、失敗する人もギバー(ギバーにも種類がある)
- テイカーは言葉遣いなどに特徴がある(見分けられるかも)
となります。
行動パターンの類型でこの社会を眺めてみると、
ギバーは、世の中にたくさん存在するマッチャーに与える。マッチャーはそれに恩義を感じて、必要なときにギバーにそれを返す。ギバーは与えるごとに味方を増やし、テイカーは得るたびに敵を作る。長期的にみると、周囲から声援や援助を受けて、成功しやすいのは、さてどっちでしょう?
ということになるわけです。
なんだから当たり前の話のようにも思えるし、逆にキツネにつままれたような気がするかもしれません。
ともあれ、上のお話を受け入れたとすると、「成功するためには、ギバーになりましょう」という教訓が出てくるわけですが、これは冒頭に掲げた疑問にまともに正面衝突します。
だって、「自分が成功するために、誰かに与えましょう」というコンセプトならば、それはどこからどうみてもテイカーの発想です。このねじれというか、パラドックスというかに、やっかいな問題が潜んでいるわけです。
変換ミス
ある人がいたとします。その人はギバーです。その人はギバーとして振る舞い、大きな成功を収めました。
それを後ろで見ていた誰かが(偉そうに)こう言います。「ほら、あの人はギバーとして振る舞ったから、成功したんですよ。あなたたちも、成功したいのであれば、ギバーとして振る舞いなさい」
情報伝達における変換が、うまくいっていません。
ギバーな人は、成功を求めてギバーとして振る舞ったわけではありません。そうしたいから、そうしたのです。それが結果的に成功につながった、というだけのお話。
昔の言葉に、
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」
なんてものがありますが、「ギバー」の教訓は古人の跡を求めているようなものです。
だったら、どうすればよいのでしょうか。
詳しい話は本書に譲りますが、あなたが与えたくて仕方がないものを与えればよいのです。それが真の意味での「与える」戦略です。
テイカーにはご用心
本書はギバーについての本でもありますが、実はテイカーについての本でもあります。むしろ、テイカーに食い物にされないための指南書と言えるかもしれません。
本書では、自分の写真や言葉遣いによってテイカーを見分ける方法が紹介されています。逆に言うと、そういう方法が必要なのです。なにせテイカーは、
こうされないように、テイカーはバケの皮をかぶって寛大に振る舞い、ギバーやマッチャーを装って相手のネットワークの中にまんまと入り込もうとする。
というように、最初は親切な人なのです。後からの見返りを期待した親切を、存分に振りまきます。
で、そこで信用を獲得し、のちのち「回収」にかかります。ひたすら人脈を広げたり、偉い人とコネをつなげたり、何か売りつけたりするわけです。もう、その瞬間には、相手方のメリットなど何も考えません。ただ、「どうすれば、自分の得になるか」だけがテイカーの頭の中に渦巻いています。
あまりそういう人物に近づきたくはありませんね。
本書にもありますが、「自分の利得に関係無い人をどのように扱っているか」というのがテイカー傾向を見極める一つの指標になるかもしれません。特に「回収済み」の人をどのように扱うのかが、大きなポイントになるでしょう。
面白いのは、
ドイツの心理学者トリオによれば、初対面で一番好感をもたれるのは、「権利意識が強く、人を操作したり利用したりする傾向のある人びと」だという。
というお話。
これがどのぐらい真実なのかはわかりませんが、人に対する評価を、第一印象だけで固定してしまうのは、少々危うい、ということだけは覚えておいた方がよいでしょう。
最初は親切そうに見えたのに……、みたいなことはいっぱいあります。逆にどれだけ時間が経っても、同じように与え続けている人もいます。そういう人はギバー属性の可能性大です。
さいごに
ギバー作法やテイカー注意報ももちろん大切なのですが、本書において一番重要なのは以下の一文ではないかと思います。
しかし、世の中の大半はゼロサムゲームではない。
このコンセプトというか、世界の在り方を受け入れられるかどうかで、世の中の見方・自分の立ち振る舞いがずいぶん変わってくるような気がします。
私は著者があげた「人の行動パターンを類型化」を見たときに、「そもそもどうしてギバーはギバーとして、テイカーはテイカーとして振る舞うようになったのか?」という疑問が湧いてきました。それは遺伝的な何かなのかもしれませんが、もしかしたら「世界をどのように捉えているのか」という価値観・世界観に依るものなのかもしれません。
世の中を受験や入社試験といった限定的な視野で捉えた場合、たしかにゼロサムゲームな側面はあります。でも、空間・時間的に視野を広げれば、案外そういうものではなくなります。そういうものではない世界が、雄大に広がっているのです。
▼こんな一冊も:
あたえる人があたえられる |
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ボブ・バーグ Bob Burg ジョン・デイビッド・マン John David Mann 山内 あゆ子
海と月社 2014-01-29 |