私の人生哲学第二条には「なるべくシンプルに生きる」と書かれている。
シンプルに生きるというのは簡単そうで実は結構コツがいる。
例えば「シンプルに生きる」と聞いてあなたはどのような生活スタイルを思い描かれるであろうか。寝て起きてご飯を食べてネットで動画を漁ってまた寝て、といった毎日の繰り返しだろうか。それとも毎日毎日会社と家を往復して終日は好きでもないゴルフか、家族の買い物に費やされる日々だろうか。
それはシンプルな生活というよりも単調な、変化のない生活と呼ぶべきものだろう。
もちろん私が目指している生活もそのようなものではない。
たとえば、こうして毎日のようにブログを書くことは果たしてシンプルなことなのか、という疑問がでてくるかもしれない。もちろん答えはYesである。
私は自分が書きたいからこのブログを書いているし、書きたくなくなったらすぐにやめる。
そこには原則として自分の意志というものが貫かれている。
私が「シンプルに生きる」と呼ぶものはそういったスタイルのことである。
つまり優先順位がはっきりしている。物事を判断するのにさまざまな要因を重ねない。
といったことだ。
ただ、コレを常に実践していくとなると、シンプルでない事態に出くわすことも多々ある。
複雑さが複雑さを呼び、あっちに手当て、こっちにフォローという事態に陥ってしまうこともある。しかし、それらも優先順位がはっきりし、自分が下した判断で引き起こったことならば受け入れられる。その単純に受け入れるということもシンプルな生き方のひとつである。
つまり、出発点も終着点も自分自身ということ。もちろんその間にはさまざまな人や事柄が絡んでくる。そこからさまざまな方向に波及していくこともある。そうして波及したことが自分の手には負えないこともあるだろう。それ自身もひとつの事柄として受け入れる。
あくまで自分からでて、自分で受け止めるというプロセスを大切にしていく。
このプロセスを成し遂げるためには、自分自身の価値観と向き合わなければならないし、責任や覚悟といったものもきっちりと両脇に抱えておかなければならない。
でも、それができていれば納得感というのは必然的に生まれてくる。
納得感の無い人生など、OSの入っていないパソコンのようなものだ、と私は思う。
しかし、日本の社会を見渡すとシンプルに生きていない人がたくさん見受けられるのが少々残念ではある。
シンプルに生きる
