嬉しかったので、ご紹介します。
読むたびに姿を変える【書評 倉下忠憲「真ん中の歩き方」】(mojigurui)
無料で読めるブログを、改めて電子書籍にする事についても興味があり、発売後すぐ購入、そのまますぐ読み始めました。
告知した記事でも書きましたが、『真ん中の歩き方』はR-styleの記事を厳選した本です。基本的に書き下ろしは「はじめに」と「おわりに」だけ。あとは当ブログでアップした記事が詰め込まれています。
そうすると、「所詮、ブログ記事の寄せ集めなんでしょ」と思われるかもしれません。ある意味では、たしかにその通りです。
でも、そうではない部分もやっぱりあるのです。というか、存外その部分の方が大きいかもしれません。
例えば「あなたの無理はどこから?」という章は、自分もブログの記事として読んだ内容だったのですが、その印象はブログのそれとは違いました。形態や段組みのような「手触り」ではなくて、もっと「態度」に近いような・・・
作った自分が言うのもなんですが、それぞれの記事(文章)から受ける印象は、ブログと本でずいぶん違います。
書評記事の中では「動的」「静的」という表現をされていますが、それに近いものが影響しているでしょう。「本」は、クローズドであり、ソリッドです。つまり、はじまりとおわりがあって、それぞれの場所が固定されているのです。リンクによってつながっているブログとは、趣がずいぶん違います。
いや、それは趣といった雰囲気ではなく、コンテンツのバックグラウンドとも言えるコンテキストに直接影響を与えているかもしれません。
外山滋比古氏の『思考の整理学』では、複数のノートを使う「メタ・ノート」という手法が紹介されています。アイデアを書き留めたノートの中から良質のものを別のノートに転記する。そうやって選りすぐりのアイデアだけを集めたノートを作る。そんな手法です。
メモの手帖から、ノートへ移すことは、まさに移植である。そのまま移しているようであっても、決してそうではない。多少はかならず変形している。それよりも、もとの前後関係から外すことが何より、新しい前後関係、コンテクストをつくり、その中へ入れることになる。
単純なコピペではなく、書き移す際には、新しい自分なりの表現を使うことになる。それが、変形を生む。でも、それ以上に移植によるコンテキスト(コンテクスト)の変化の方が、アイデアにとって影響が大きい。そう外山氏は述べます。
コンテクストが変われば、意味は多少とも変化する。手帖の中にあったアイディアのノートへ移してやると、それだけで新しい意味をおびるようになる。もとのまわりのものから切り離されると、それまでとは違った色に見えるかもしれない。
ブログの記事でも、同じことが言えるでしょう。
一般的にブログ記事はRSSリーダーやSNSから読まれます。それぞれの記事はバラバラであり、読み方は断片的になりがちです。だから、コンテキストが発生しません。あるいは発生してもごく弱いものになります。
しかし、クローズドでソリッドな「本」であれば、明確なコンテキストが生まれてきます。二つ前の章で出てきたあの言葉が、今読んでいるこの言葉と結びついて、新しい響きを獲得する__そんなことだって起こりえるのです。言葉の捉え方、文章の解釈、全体から感じる意味__そういったものが変質していくのです。
音符が一つしか置けない短い小節では、リズムは生まれません。大きなうねりも引き起こせません。
余韻を産むには、ある程度の長さが必要なのです。しかも、直線上に並ぶ長さが。
というわけで長々と書きましたが、当ブログをお読み頂いている方なら楽しめる本になっているかと思いますので、よろしくお願いします。
真ん中の歩き方: R-style selection |
|
![]() |
倉下忠憲
R-style 2014-08-28 |
▼こんな一冊も:
思考の整理学 (ちくま文庫) |
|
![]() |
外山 滋比古
筑摩書房 1986-04-24 |