2-社会情報論

セルフパブリッシングについての雑記

セルフパブリッシングには、コストが安いとか、スピーディーだとか、編集会議を通さなくてよいとか、いろいろな要素があります。

で、その結果として「これまでの(商業)出版には乗らなかったコンテンツ」というものが「本」として出てきます。

なぜ、それらのコンテンツが(商業)出版には乗らなかったのかというと、

  • コストが回収できないと判断された(あまり売れない企画)
  • コンテンツのボリューム不足(あるいはボリューム過多)
  • 面白いと評価する人に出会えていない(発掘されていない)

みたいなことがあろうかと思います。ニッチすぎたり(あるいは最先端すぎたり)、内容に厚みがなかったり(あるいは厚すぎたり)、出版に関わる人が目を付けていない分野だったり、といったことです。

そういうコンテンツが「本」として世に出てくるようになる。

もちろん、多くの人にとっては、玉石混淆の石の率が高まる結果になるのかもしれませんが、ごくたまに信じられないほどの玉と出会える可能性も出てくるでしょう。フィルターというのは、良し悪しなのです。

セルフパブリッシングの使われ方

別の視点からセルフパブリッシングを眺めてみると、いくつかの「使われ方」が想定されます。

  1. 作家・ライター・物書きの別ルート
  2. 商業出版を志す人の登竜門
  3. 広い意味での趣味

1は、本を出すことはできるが出版社がGoサインをくれない企画案を持っている作家(エトセトラ)が、それを世に問うために使う、というもの。

2は、「〜〜新人賞」に応募する代わりにセルフパブリッシングしてみたり、ビジネス作家を目指す人がセルフパブリッシングしてみたり、といったもの。

3は、ブログあるいは同人誌の延長線上で(あるいは同心円内で)電子書籍を作って売る、というもの。

行為、あるいはメディアの形式としてみればどれも「セルフパブリッシング」です。が、その実体はいろいろでしょうし、目的も違います。その違いは、ある程度踏まえておく必要があるのかな、と最近感じます。

ちなみに雑記ついでに書いておきますが、たとえ1でも、商業出版とおなじレベルの「本」が出てくるとは限りません。特に、作家オンリーで作られた「本」に関してはその傾向が強まります。やっぱり(プロの)編集者の存在というのは大きいのです。あと、マーケティングの発想を持っていないと__よほどの知名度がない限りは__なかなか売れないでしょう。

2に関しては、もう頑張ってください、としか言えません。とにかく書くことが始まりですね。

3は気負わず楽しみましょう、という感じ。まあ、私が言わなくても楽しんでおられるでしょうが。

さいごに

とくに結論めいたものはありませんが、金額ベースで影響があるのが1(とやや2)であり、「本」という文化__もっと言えば私たちの情報生活__に広く影響があるのが3(とやや1)なのではないか、と考える今日この頃です。

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