6-エッセイ

バトンが渡るということ

TEDの動画を見ました。

ジョン・ハンターの世界平和ゲーム(TED)

二つの「教え」__あるいは「学び」__が、この動画には登場します。

一つは、小学4年生たちが行う「世界平和ゲーム」。非常に興味深い授業です。日本で同じような授業を行ったらどんな風景が広がるのでしょうか。なかなか楽しい想像です。

もう一つが、ジョン・ハンター氏が語る「教師のバトン」。ハンター氏はこの表現を使っていませんが、私の脳裏にはバトンのイメージがありありと浮かんできました。

教えられるという体験

彼は、自分が授業を行う姿を映像で見たとき、そこに恩師の先生方の姿を認めたそうです。知らない間に同じような仕草をしていた、別の言い方をすれば、彼らの教え方が無意識下にインストールされていた。そんなお話です。

「教える」というバトンが、ある人から別の人に渡ったと言ってもよいでしょう。

当然、そのバトンは、また別の誰かに渡されます。あるいは、時間をさかのぼってみれば、そのバトンははるか昔の誰かから回ってきたものでもあります。

どこかの時点で教師になる人も、それ以前の段階では誰かの生徒です。そして、その生徒は、自分を教える教師から__授業の内容に加えて__誰かに「教える」ということを学びます。それも体験的に学びます。

体験的に学ぶこと。これが動画のテーマです。

教師に教えられた生徒のうちの何人かが教師になり、そのあたらしい教師に教えられた生徒がまた教師になり……。そうやって教師のバトンが渡っていく。もし、限りある生命を自覚する人間という動物が、遙か未来に希望を抱けるとしたら、そういうバトンの力を信じられることが背景にあるのかもしれません。

本を書く技術

考えてみると、私はこうして文章を書いたり、それをまとめた本を書いたりしていますが、そのやり方は「誰かに技術を教わった」というよりも、本を読むことを通して学んできたように思います。

もちろん、文章技術に関する本も読んでいます。それなりの知識も蓄えています。

でも、それらは何かしらを補強したり、補足したり、確認したりするようなものかもしれません。もっとも根源的なことは、本を読むという体験を通して学んできたような気がしてなりません。

誰かが本を書く、その本を読んだうちの何人かが本を書く、そのあたらしい著者が書いた本を読んだ人間がまたあたらしい著者になり……。

そんな風にして受け継がれていくものもあるのでしょう。

さいごに

だとすれば、こうして書いているブログにも何かしらのバトンが含まれているのかもしれません。

そう考えると背筋が伸びます。

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