0-知的生産の技術

スタート地点としての「なんにもしらないこと」

梅棹忠夫さんの言葉を集めた『梅棹忠夫のことば』という本があります。

梅棹忠夫のことば
梅棹忠夫のことば 梅棹 忠夫 小長谷 有紀

河出書房新社 2011-03-16
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この本で紹介されている、次の言葉がとても好きです。

なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識は、あるきながらえられる。あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている。

知っていることは、「型」になりえます。既存のルール、慣例、大人の事情……、そうしたものに考えが縛られてしまうことがあるのです。

梅棹さんは無知を非難していません。この言葉には、攻撃も揶揄も嘲笑もいっさい無しです。

そもそも、だれしもが最初は無知です。それに、知らないという状態だからこそ、固定観念に縛られない、あたらしい発想が生まれてくる可能性もあります。

だから、なんにもしらないことは悪いことではなく、むしろよいことだ、と梅棹さんはおっしゃるわけです。

前に進むからこそ

でも、それと同時に、この言葉には「ありのままでいいよ」という現状維持主義的メッセージは込められていません。無知な状態が永遠に続くことを褒めてはいないのです。

なんにもしらないことは、自分の体験で、自分の頭で、考える自由を与えてくれます。逆に言えば、自由に考えを発展させられるからこそ、なんにもしらないことはよいことなのです。

無知からスタートしてもいいんだ。無知からスタートするのがいいんだ。

なんにも持っていない未熟者(の自覚を持つ人)にとって、これほど励まされる言葉があるでしょうか。背中を押してくれる言葉はあるでしょうか。

かんがえながらあるく

もう一つ、この言葉には、勉強が動的なものである、というメッセージがあります。

あるきながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。

行動しながら知識を得、得た知識から思索を進め、その結果を反映してまた行動する。

固定化された知識を脳内に転写することだけが、勉強ではないのです。特に対象が動的なものであれば、その学びもまた動的にならざるを得ないでしょう。

さいごに

人は、だれしも「なんにもしらない」状態から始まります。

どこかの分野を極めても、別の分野ではやっぱり「なんにもしらない」状態です。そういうものがやまほどあるわけです。

それはつまり、自由にかんがえを発展させる余地がやまほどある、ということでもあります。

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