4-僕らの生存戦略

好きなことに関する問い、輝くロールモデル、選択の感覚

以下の記事を読みました。考えることの多い記事です。

好きなことをして生きていくという言葉について(教師の知的生活ネットワーク)

私は執筆業をしており、どう厳しめに見ても「好きなこと」を仕事にしています。これっぽちも楽ではありませんが、文章を書くという好きなことをして生きているわけです。

でも、であるがゆえに考えることも多くなります。

問いに向き合う

「好きなことで、生きていく」

というキャッチコピー自体が曖昧であり、いかようにも解釈できます。そこに希望を見出す人もいれば、嫌悪感をかきたてられる人もいるでしょう。冷静に議論を進めていくための言葉ではありません。もちろん、キャッチコピーにそんな役割は期待されていないので、仕方のないことです。

でも、この問題自体は安易に考えて良いものでもないでしょう。

人がどう生きるかは個人の自由だ、という前提に立った上で、それでも最低限いくつかの問いには向き合う必要がありそうです。

  • 自分の好きなことは何なのか?
  • それは本当に好きなことなのか?
  • そして、それは得意なのか?
  • そして、それで生きていけるのか?

自分に関して言えば「そうだ、今日から好きなことをして生きてこう!」と強く決意したのではなく、たまたまというか、なし崩し的にというか、流れに乗ってというか、やむにやまれぬとかそういう感じです。

メインストリートがあまり居心地が良くないので、ズルズルと移動していたら辺境にたどり着いた、というのが近い感触かもしれません。まあ、胸を張って威張れるようなことではないですね。それでも、文章を書くのは好きですし__疑問をお持ちの方はメルマガをご覧ください__、(他の人に比べれば)多少得意であるとも言えます。

「生きていけるのか?」という問いに関しては、なんとも言えません。生きていけたらいいな〜、と願いながら生活しております。

充実感というあこがれ

そういう話とはまったく別に、一つの疑問があります。

「好きなことで、生きていく」的看板を背負っている人は、実に楽しそうです。それが真実の楽しさなのか、造られたイメージとしての楽しさなのかはわかりません。でも、端から見れば充実感に溢れて仕事をしておられるように見受けられます。

ではもし、ある子どもがいて、その周りの大人がつまらなそうに仕事をしていたらどうでしょうか。充実感や誇りの欠片もなく働いていたらどうでしょうか。

世間の事情というものがインストールされていない状況で、その二つを見比べたらどちらに心惹かれるでしょうか。

もちろん「楽して儲けたい」という気概で、「好きな」仕事に憧れる子どももいるかもしれません。でも、もしかしたら、違った理由があることも考えられます。そしてそれは、誰がどんなキャッチコピーを作るのかとはまったく違った根深い問題が潜んでいます。

選択肢を持つ

別の方向からも考えてみましょう。

『選択の科学』によると、人は「選択ができる状況」を強く求めるそうです。実感としても納得できますし、ラットを使った実験でも確認されているようです。

あるいは、『夜と霧』でフランクルが最後まで希望を失わなかったのは「自分は選択ができるんだ」という意識をキープしていたからだ、なんてことが言えるかもしれません。それでも人生に対して「イエス」と言う、というのはどう考えても選択です(※)。
※あるいは選択の感覚が強く生まれます。

さて、働くことについて考えてみましょう。就職活動の厳しさはマスコミが過熱して伝えている部分にはあるにせよ、真実の側面もあるでしょう。つまり、選ぶことが難しくなっているわけです。

そもそも、「自分の学力に見合った学校に進学」し、「自分が受かりそうな企業に応募する」という行動自体、選択がほぼ含まれていません。もちろん、表面的な選択の自由はあるにせよ、意識のレンズを通せば選択の余地というのは非常に限られたものとして知覚されることでしょう。
※能力や資産に恵まれた人は、この感覚がわかりにくいかもしれません。

そんな状況下で__あるいはそういう状況になるだろうという想定がはたらく中で__、「こういう仕事もありますよ。誰にでもできますし、なんと!好きなことで生きていけます」というメッセージが提示されたらどうなるでしょうか。選択肢が生まれます。別の言い方をすれば、それを選択肢として取り込むことで、自分が選択できる感覚を生み出すことができるようになります。

この感覚的な誘惑は、かなり強いように思います。もちろん、すでに選択の感覚を有している場合はその限りではありません。

さいごに

結局の所、一人ひとりの人生は、その人のものなのですから「好きなことで、生きていけ」とも「好きなことで、生きていくな」とも言えません。特に対象が大人ならなおさらです。

ただ、考えるべき問いはしっかり考える必要があるでしょう。その上で、出てきた答えならば、よっこらせと責任を背負った上で一緒に歩いて行くしかないように思います。基本的に、私たちは自分からは逃げられないのですから(※)。
※逃げない、という選択を持つことは可能でしょう。

それはそれとして子どもに向けて何かできることがあるのかを考えると、北極星になるようなあこがれを提示したり、転けて怪我したときの応急処置を教えることぐらいな気がします。もしかしたら、もっと踏み込んだ方がよいのかもしれませんし、あるいはそれはパターナリズムすぎるのかもしれません。ちょっと難しい問題です。

▼こんな一冊も:

選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫)
選択の科学 コロンビア大学ビジネススクール特別講義 (文春文庫) シーナ アイエンガー Sheena Iyengar

文藝春秋 2014-07-10
売り上げランキング : 7497

Amazonで詳しく見る by G-Tools

夜と霧 新版
夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル 池田 香代子

みすず書房 2002-11-06
売り上げランキング : 763

Amazonで詳しく見る by G-Tools

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です