5-創作文

Cloudy

月刊群雛の特別号に応募しようと準備した作品ですが、気がついたら募集が終わっていたので、この場を借りて(まあ、自分のブログですが)公開しておきます。


「年輪がどうやってできるか知っているかい?」
 斉藤さんとの会話は、いつもどちらかではじまる。僕が斉藤さんに質問するか、斉藤さんが僕に質問するか。今回は後者だった。
「そりゃ、木が成長してできるんじゃないんですか」
「もちろん、そうだよ。でも、なぜあんな輪ができるのかわかるかい?」
 僕はいかにも木こりが座っていそうな切り株を思い浮かべた。たしかに、そこにはバウムクーヘンのような同心円状の輪がいくつもある。
「あの輪の部分だけ特別な成長をしている、とかですか」
 いいや、と斉藤さんは首を振った。「惜しいね。ある意味では正解と言えるかもしれないが」
「どっちなんですか」
「四季の変化がある地域では、木の成長の度合いも季節ごとに変化する。春から夏にかけては勢いよく、秋口から冬にかけては控えめに。その違いが、年輪として現れるわけさ。僕たちは、その年輪を数えることで木が通過してきた年月を知ることができる。もし、ただフラットに大きくなっていたのならば、僕たちにそのヒントは与えられない」
 斉藤さんはポケットから出した紺色のタバコの箱をトントンと叩く。短いタバコに火をつけ、たった今巫女からもたらされた神託を理解するみたいに深く煙を吸い込んでから吐き出した。
「停滞するのもそんなに悪いことではない。むしろ成長と停滞が一体になっているからこそ、人生には色合いが生まれるんじゃないかな」
 斉藤さんは飲み終えたコーヒーの空き缶にトントンと吸殻を落とす。僕はまだ奢ってもらったコーヒーを飲み終えていなかった。もうすっかり苦さを増してしまったコーヒーは、これ以上飲まれることを拒否しているかのようでもあった。
「ごちそうさまです」
 そう言って僕はコーヒーをなんとか飲み干し、特に別れも告げず公園を後にした。いつもどおりの風景だ。

 ある種の体験を経ると、色合いがまったく変わってしまうものがある。
 好きな楽曲でも、それを携帯の着信音に設定してしまうと、そして電話がいつもいやなことを告げる装置として機能していると、その曲が頭痛を引き起こしてしまう。深夜に響き渡る救急車のサイレンは恐怖心を呼び覚まし、浅い寝息は零れ落ちそうな喪失感を自覚させてしまう。
 僕にとっては、自分の誕生日もそんなもののひとつだった。この日が来るたびに彼女のことを思い出してしまう。そんなことをしても何の益もないと頭ではわかっているのに。ただ心が悲痛な叫び声をあげてのたうち回るだけだと知っているのに。
 目にする風景が、ことごとく僕を攻撃しているように感じられる。僕は、時間ができると隣町に出かけるようになった。ここならば、思い出のトリガーは引かれない。僕は行く当てもなく、ただ町を歩き回った。ときには公園でぼんやり時間をつぶし、そして再び歩き始めた。町には映画館もなく、ボーリング場もなかった。ゆっくりを死を待つようなその町は、自然と僕の心を落ち着かせてくれた。何もないことが、僕にとってはありがたかった。
 思わずジャケットのポケットに手をつっこんでしまうぐらい寒い秋口のある日、僕は斉藤さんと知り合った。いつもの、あの公園で。

「これ、食べるかね」
 公園のベンチで、何をすることもなく座っている僕に一人の男が近づいてきた。彼は、左手に抱えた袋から焼き芋をひとつ取り出し、僕に差し出した。それが斉藤さんとの出会いだった。
 おなかはまったくすいていなかったのだが、気がついたら僕はうなづいており、彼は僕の隣に座っていた。
「境界線をさまっているように見えるよ。そんなときはおいしいものを食べるのが一番だ。焼き芋なんてまさにそのためにあるような食べ物じゃないかね」
 僕はたしかに境界線をさまよっていた。そして、どちら側かに行きたがっていた。
「少しずつ失われていくんです。それが、怖くて」
 なるほどね、とその男はうなづいたあと、しばらく何もしゃべらなかった。それぞれの手の内にある焼き芋だけが、白い蒸気を立ち上らせている。二人の人間の中間にある沈黙には不思議な力がある。虚無が虚無ではなくなる。僕はありありと恐怖を感じる僕自身を左斜め上から感じていた。
「誰しも失うことは怖い。でも、それは物の見方なのかもしれない。もといた場所に帰っていくだけだ、と考えればどうだろうか」
「だったら、生きる意味なんてどこにあるんですか」
「生きる意味は、見出したその場所にあるのさ。それは量子的に振舞うものなんだよ。絶対的な存在ではない。観測者に依存してしまう。でも、存在しないわけではない。そういうものなんだ」
 彼が言っていることはまったく理解できなかった。彼もそれ以上は何も言おうとはしなかった。
「ごちそうさまです」
 そう言って僕は公園を後にした。そして、僕の公園通いが始まった。それが数ヶ月前の話だ。

 斉藤さんは、いつもタバコを吸うか、コーヒーを飲むか、何か甘いものを食べていた。まるで世界に対して口に蓋をしているかのようだ。彼は口数の少ない人だった。聞かれたことには答えるが無駄口は叩かない。質問するときも最小限の言葉を使う。その代わり、いつも僕に何かを奢ってくれた。お金を使うことがほとんどなくなってしまった僕は、金銭的に困ってはいなかったが、なぜだか斉藤さんに奢ってもらえるのはうれしかった。
 今度何か奢りますよ、と僕が言うたびに、「そのお金で本を買うといいよ」と斉藤さんは答えを返してきた。「その方が、僕にとってもうれしい」
 もしかしたら斉藤さんは出版関係の仕事をしているのかもしれない。だいたい平日の昼間にしょっちゅう公園に入り浸っているのも、ごく普通の会社員からみたら相当に変な人である。しかし、斉藤さんは仕事については答えてはくれなかった。「まあ、いろいろとね」というのが、僕に引き出せる最大の答えだった。
 僕は相変わらず、僕の影を引きずって歩いていた。そのことは斉藤さんに指摘されるまでもなかった。ここ数が月全力で走って逃げようとしたけれども、結局何も変わらなかった。せいぜいがタバコの銘柄について少しだけ詳しくなったぐらいだ。そんなとき、斉藤さんは僕に質問を投げかけてきたのだ。「年輪がどうやってできるか知っているかい?」と。
 僕の誕生日が近づいていた。

 一歳年齢を重ねるたびに、年齢のことなどどうでもよくなっていく。それでも、時計の針は正確に回り続け、僕は年齢をひとつ加算した。僕の気持ちとは関係なしに世界は通常運行していく。日本の交通機関も真っ青な正確さだ。
 太陽の日は遠く、風は冷たい。不吉な雲が徐々に空の支配を握りつつある。いっそ雪すら降ってきそうな勢いだ。吐く息の白さを確認しながら、僕は公園へと向かった。斉藤さんは相変わらずそこにいた。まるで僕を待っているかのようだ。
「斉藤さんは、生きるべきか死ぬべきか、という質問にぶつかったらどう答えますか?」
 今日は僕からの問いかけだった。
「簡単さ。そう問うていること自体に答えが含まれている。本当に心の底から死を望む存在は、あるいは死しか望まない存在はそんな問いなど発しない。ただそれを受け入れるだろう。問いという迷いが発生しているならば、そこに生に固執する何かがあるんだろう。だったら、それを大切にすればいい。どのような決断をしようとも、どうせいつかは私たちは死にいざなわれる。だったら、わずかでも生を望む気持ちがある間は生きていればいい」
「誰かに迷惑をかけることになっても?」
「誰にも迷惑をかけないで生きている人間がいるのかね?」
 斉藤さんは、まるで事前に内容を聞かされていた質疑応対みたいに即座に答えを返す。まるで何かをなぞるように。
「ひどすぎる痛みを背負うことになっても?」
「痛みは避けられない。それが存在しない人生は、あんこの入っていないタイ焼きみたいなものだよ」
「そこまでして生きる価値があるんですかね」
「誰も君の人生を生きたことがないんだ。僕が答えられるわけがないよ」
 斉藤さんはタバコの煙を吐き出し、遠くの空にある雲を眺めていた。その裏に張り付いている何かを見通そうとするかのようにじーっと。風が強いのか、雲の流れも速い。ときおり、忘れていたかのように日差しが公園に降り注ぐ。
「そういえば、今日が誕生日だと言っていたね。大切な記念日だ。これで君にも年輪がひとつ増えたことになる」
「ありがとうございます、と言えばいいのかはわかりませんが」
「もちろん、それでいいのさ」と斉藤さんは控えめな笑みを浮かべる。「これ、食べるかい?」
 あんこがたっぷり詰まったタイ焼きが僕に差し出された。僕はタイ焼きをほおばり、斉藤さんは相変わらずタバコをふかし続けていた。沈黙には不思議な力がある。空に浮かぶ雲たちも同じように流れ続けていた。

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