6-エッセイ

場当たり的派の戦略への興味

よくよく本棚を見返してみると、戦略関係の本が好きなことに気がついた。結構手広く読んでいる。

それはゲーム好きの影響なのかもしれないし、あるいは戦略が好きだからゲームが好きなのかもしれない。それはまあ、どうでもいいことだ。

私はどちらかというと、一つの戦略を深く掘り下げていくよりも、広く浅くいろいろな戦略論・戦術ノウハウに触れるのが好きだ。

しかし、ふと気がついた。

そもそも、自分は長期的な計画を立てないじゃないか。なのに、戦略を学んで一体どうしようというのか。

しかし、即座に反論が思い浮かぶ。

長期的な計画を立てないからこそ、広く浅く戦略を学んでいるんだ、と。

「面白そう!」で動く

私は、場当たり的行動派である。そういう「派」があるのかは知らないが、似たような人は多いように思う。基本的な動機付けは「面白そうだ」であり、中長期的な構想を立ててからアクションに移るようなことはない。トップダウン思考は、私には縁遠いものだ。結果から逆算、というのもない。そうしたものを忌み嫌っているとまでは言わないが、「サイコロの目は何がでるかわからない」という哲学を”心の内ポケット”で強く握りしめている。

ということは、どういうことかというと「出たとこ勝負」である。つまり、サイコロを転がし、止まったマスの指示を見てから、考えるということだ。サイコロを振る前に、「俺はこのマスに進むぞ」みたいなことは全然考えないわけである。

こういう思考スタイルは、長く親しんできた麻雀によって育まれたのかもしれない。

麻雀は、とりあえずツモらないと最終的な決定は下せない。13枚で構想を立てることはできるが、道を決めるのはツモってくる次の一枚である。その一枚で構想そのものが大きく破綻することも珍しくない(「リーチ宣言牌の間四軒かよ……」)。ある程度見通しを立てても、それはどうしたってふんわりしたものに留まる。具体性を与えるのはツモってくる14枚目の牌なのだ。

で、そうしてツモってきたら、次に進めるためには何かを捨てないといけない。捨てて、次をツモり、考えて、また捨てる。そうやって麻雀は進行していく。つまり、行動があり、結果があり、何かを考えて、次の行動に繋げる。そうやって進んでいくのだ。

もちろん、最終的なイメージを想像することは必要である。ドラッカーは「何によって覚えられたいのか」と説いた。麻雀でもタンヤオなのか、国士なのか、チートイツなのかを決めておかないと、手牌はブレブレになる。でも、結局はツモ次第である。構想とツモがぴたりと合えば即座にあがれるが、そんな幸運は半荘に一回あるかないかだろう。だいたいは、想定外の(あまり望んでいない)ツモがやってくる。人生だって同じようなものだ。

だからこそ、私は戦略の引き出しを増やそうとしているのかもしれない。

戦略の引き出しが豊富であれば、場当たり的であっても、その状況にピッタリと合う戦略を見出すことができる。つまり、先に決めておいた戦略に沿うように進めるのではなく、アクションを起こした結果の状況に見合った戦略を採用する、ということだ。三色寄りのツモが来たら、三色に手牌の進行を変える、というのに近い。

簡単に言えば、状況に「対応」するということだ。戦略の引き出しが多ければ多いほど、多様な状況に対応できるようになる。

おそらく最終的な結果から振り返ってみれば、相当にややこしいことをやっているように見えるだろう。でも、結局はそのときそのときの最適化を導いているだけなのだ。つまり、後から作られる複雑性。これは、一見すごそうにみえるが、それほどアクロバットなことではない。

真逆のアプローチ

もちろん、まったく逆のアプローチもあり得る。

綿密な戦略を立て、それに沿って進んでいく。戦略に合う状況を増やすようにし、そうでない状況を減らすようにする。そうして、戦略の有効性を高めていく。そのためには、その戦略に対する深い理解が必要だ。おそらく信頼みたいなものもいるだろう。広く浅くスタイルではまったくダメである。

『サラリーマン金太郎』という漫画の中で、矢島金太郎は役満しか狙わないという戦略を採っている。どんなツモが来ても気にしない。とにかく役満狙い。ほとんど大半は負けているのだが、最後に狙い通りのツモが来て大きくあがる。これも立派な戦略の運用だろう。あるいは、信念を貫く、ということなのかもしれない。

さいごに

さて、あなたは場当たり派だろうか事前戦略派だろうか。

そして、戦略への興味は広く浅くだろうか、狭く深くだろうか。

これがミスマッチだと、なんとなくショボーンな感じがする。気のせいかもしれないが。

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