心の中の矢印

another story:Cloudy


「強さって、何なんですかね?」
隣でタバコの火をつけはじめた斉藤さんに、僕は尋ねた。
「難しい問題だね。強さは、弱さの反対のように思える。でも、もしかしたら違うかもしれない」
「違う?」
「そうさ」
斉藤さんは思索を潜り込ませるようにタバコを深く吸い、時間をかけてそれを吐き出す。
「力があること。それが強さを形成する。でも、それは所詮相対的だ。より大きな力を持つものが現れたら、カメレオンのように弱さへと変質する。そんなものを真なる強さと規定してよいのだろうか」
タバコから立ち上がる煙が二人の間で揺れる。少し風が強くなってきた。夕過ぎの公園には僕たち以外、誰もいない。
「時間は残酷に、そして正確に進んでいく。無力な我々はそれを止めることができない。ただ、時が前に進むのを眺めているばかりだ。時は浄化をもたらし、忘却をもたらし、酸化をもたらし、エントロピーの増加をもたらす。そこに善悪はない。ただ、前に進むだけだ。そんな世界の中で、保ち続けられる強さとは一体どのようなものだろうか。どうだい、難しい問題じゃないか」
僕の目を覗き込み、共通理解が確立されたことを確認してから、斉藤さんは続ける。
「あくまで僕の個人的な考えを述べよう。強さとは、ステータスのことではない。むしろそれは姿勢の問題だ。つまり、強さを志向すること。それが、強さということの意味だ。これがどういう意味かわかるかい」
斉藤さんは僕に問いを投げ返す。もちろん、僕にその意味はわからない。
僕が首を横に振ると、斉藤さんはコクリと頷き、しばし押し黙った。
……
「強さを志向する、つまり強さを求める主体とはどのようなものだろう。単純に考えてくれたまえ」
「……それは力を欲する人でしょうね」
「では、なぜそいつは力を欲する」
「なぜ? それは力が必要だから……あっ、そうか。弱いからだ」
「その通り。自らが弱いという自覚を持つが故に、その主体は力を欲する。つまり、強くあろうとする。その姿勢を維持している間は、強くあれる。だから、弱さと強さは切り離せない。重要なのは、弱さの自覚の方さ。それを自覚した上で、『それでも』と歩みを進められるかどうか。そこが鍵だ。そして君も——」
「僕? 僕がどうかしたんですか」
「大抵、強さについて問いを立てる人間は、自らの弱さという壁に直面している。普通に生きている人間は、強さについて哲学的に考察しようとしたりはしないものなんだよ。君が疑問に思っていることは、君の心の問題に直結している。何かがあったんだろう」
「はい」と僕は頷く。しかし、それに続けられる言葉はない。
「それを開示せよ、と迫るつもりはない。秘密の小箱は、隠しておくからこそ意義があるんだからね。ただ、その箱の中に、ぜひとも小さな矢印を入れておくことだ。どれだけ小さくてもいい。ただ、形が決して変わらない頑丈な矢印を」
「そんな矢印はどこで手に入るんですか」
「どこにだってあるし、どこにもないとも言える。ただ一つ言えるのは、君はもうすでにそれを持っているってことだけだ。あとは、それを見つけるだけでいい。そして、箱の中にしまい込むだけでいい。そんなに難しいことじゃない。ただし、簡単なことでもないがね」
「どっちなんですか」と僕は苦笑混じりに返す。
「世の中には、どっちでもある、ということがあるのさ。これは論理でもなければ、理屈でもない。ただ、そういうものがあるという事実を受け入れればいいんだ」
僕の頭の中に、アルファベットのAとBが浮かぶ。それらは激しくぶつかりあい、文字を構成する線がボロボロに崩れてゆき、徐々に文字としての体を為さなくなってゆく。やがて、文字の残骸が寄せ集まり、融合し、新しい文字が生まれてくる。Aであり、Bでもあり、AでもBでもない文字が。
「ところで、斉藤さんは自分のことを強いと思いますか」
「寒い公園で一時間以上も話し続けられる程度には強いし、30分もすればタバコが我慢できなくなるくらいには弱いね」
そう言って斉藤さんはベンチを立った。彼はサヨナラも告げずに東口へと向う。いつものことだ。僕はひとりベンチに残ったまま、新しく生まれてきた文字を何と呼ぶのかを考え続けた。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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