4-僕らの生存戦略

社会の変転と、成功の定義[今日の情報カードより]

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高度経済成長に一段落がつき、社会で生きる人の可能性・価値観は多様化してきた。むしろ、高度経済成長をなし遂げるために、(いささか無理矢理ぎみに)集中させてきた力が、ようやくほどけはじめた、ということかもしれない。

具体的には、働き方の変化がある。

高校から大学、新卒で入社、そして定年までといったルートはもはや幻想である。つまり、さまざまな職業が選べるだけでなく、働き方も変化してきている。キャリアを転々とする人もいれば、途中で休憩する人、フリーになってまた会社員になる人、同時に複数の仕事をする人、さまざまだ。それに関連して、結婚に関する考え方も昔とは随分違ってきている。

個人の可能性を活かせる、という意味では優れた変化と言えるだろう。

しかし、そうした変化の中で、従来機能していた「成功」の定義が、機能不全に陥りつつある。人生設計のデザイン空間が限られているのなら、「成功」は狭いものであっても構わない。むしろ、狭いものであったからこそ、日本のビジョンは支えられてきた。具体的には、いかに働き、いかに消費するのかのモデルを作っていた。企業にとってはやりやすい環境だっただろう。

しかし、今から・これからは違う。

それには良い面と悪い面がある。良い面は、誰かが勝手に決めた「成功」の型に自分を押し込めなくても良いことだ。仮に100人中99人がその型にすっぽりはまることができても、残りの一人はまったく嵌らない、なんてことがある。「成功」の機能不全は、そうしたアウトサイダーにしてみれば心地よい変化と言えるだろう。

しかし、もともとそこにあったものが失われるということは、何か別のものを持ってこなければいけない、ということだ。共同幻想が崩れた今、新しい幻想を個人で立ち上げなければならない。言わば、自分なりの「成功」を定義づけなければならない。そんな”重荷”を背負うのが現代の生き方の特徴である。

言い換えれば、それは生きるという行為にコミットメントするということでもある。

それを避けたければ、すでに機能不全になっている従来の「成功」を引っ張り続けるか、あるいは自分の代わりに誰かが与えてくれる「成功」にしがみつくしか無い。前者は、(うまくいかない)社会を憎むようになるだろうし、後者は壺を買わされることになる。どちらも、あまり心躍るものではない。

「世間から見れば、僕は成功者とはとても言えないけど、納得して生きています」

ということが(酸っぱいブドウではなく)、自然に言えるかどうか。自分なりの納得感をいかにして立ち上げていくか。その辺が鍵となるのだろう。

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