7-本の紹介

【書評】機械より人間らしくなれるか?(ブライアン・クリスチャン)

「機械より人間らしくなれるか?」

実に馬鹿げた問いです。この世でもっとも人間らしい存在を挙げるとすれば、それは人間でしょう。その人間が機械と「人間らしさ」を争う? あの忌々しい機械どもと? 馬鹿らしい。

機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる
機械より人間らしくなれるか?: AIとの対話が、人間でいることの意味を教えてくれる ブライアン クリスチャン 吉田 晋治

草思社 2012-05-24
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と思ってしまうかもしれません。

しかし、勝負の場が限定されていたらどうでしょうか。コミュニケーションはコンピュータ画面上のチャットのみ。時間は5分間。そして、相手は徹底的に「人間らしく」振る舞おうとするAI。そんな状況の中で、チャット相手に自分が人間であると信じてもらわなければいけない。身振りも手振りも表情も声のトーンも使えない。ただ言葉のやりとりだけで「人間らしさ」をアピールしなければいけない。

それでも余裕で勝てると断言できるでしょうか。自分の内に潜む「人間らしさ」と、その表出に絶対の自信を抱くことができるでしょうか。

概要

本書の原題は「The Most Human Human」。最も人間らしい人間。これは、チューリングテストの世界的な大会で、人間に贈られる賞の名前でもあります。

しかし、変わった賞です。本来チューリングテストはAIのために実施され、AIは人間に「こいつは人間だ」と思ってもらうために振る舞います。

先ほどの大会では、最も優秀な成績を収めた(より多くの人間を騙し通せた)AIに「Most Human Computer」が贈られます。しかし、そのテストには対戦相手が必要です。AI同士で競うのではなく、審査員は人間とAIのそれぞれとチャットし、どちらが「人間」であるかを判定するのです。そして、最も優秀な成績を収めた人間にも賞(Most Human Human)が贈られることになっています。

このようなユーモアのある賞を設定すること自体が、ある意味でとても人間らしいと言えますし、またその賞を獲得しようと奔走する人間が出てくること自体もまた人間らしいように感じます。本書の著者は、まさにそのような人物なのです。

目次は以下の通り。

  • “最も人間らしい人間”賞への挑戦
  • ボットにアイデンティティはあるか
  • 「自分」とは魂のこと?
  • ロボットは人間の仕事をどう奪う?
  • 定跡が人をボットにする?
  • エキスパートは人間らしくない?
  • 言葉を発する一瞬のタイミング
  • 会話を盛り上げる理論と実践
  • 人間は相手の影響を受けずにいられない
  • 独創性を定量化する方法
  • 最も人間らしい人間

実際に読み始めてみるまでは、AIのアルゴリズム解析といった技術的な話が展開されるのだと予想していました。もちろん、そういう話もちらほら出てきます。しかし、主要なテーマはそこではありません。本書が行っているのは、簡単に言ってしまえば、「人間らしさ」の探求です。

「人間らしさ」とは何なのか、私たちはどのようなものに「人間らしさ」を感じるのか。その探求は、単にチューリングテストでAIを打ち負かす以上の意味があります。

TwitterでBOTに真剣に返信している人がいます。反射的に「いいね!」を押して、その実何も考えていない人がいます。定型的なフリに定型なボケを返し、定型的にツッコむ流れがあります。「機械的」に作業を行いすぎて充実感を失っている人がいます。事務的すぎる電話対応に頭を立て「お前はロボットか」と怒鳴りつける人がいます。

人間は、ただ生きているだけで「人間らしく」在ることができるのでしょうか。

人間が、理性と距離を置きすぎてしまっているとき、ときに「獣のようだ」と評されることがあります。逆に、能率的・効率的・事務的すぎて「機械のようだ」と評されることもあります。「人間らしさ」はきっとこの中間に存在して、たゆたっているのでしょう。

少なくとも、生物学的に人間であることと、「人間らしく」在ることはストレートにイコールでは結べない予感があります。

文脈と断片

本書に面白いエピソードが一つ登場します。会話には、ステートフルなものとステートレスなものがあるというのです。

ステートフルとは、文脈が繋がった会話、相手の話を受けて自分の話をつなげ、さらに相手がその話につなげていく、という流れがある会話です。ステートレスはその逆で断片的な会話です。

非常に興味深いのは、ステートレスな会話は、BOTでも悠々にこなせてしまうことです。たとえば、どんなことを言われても「つまらないことしか言えないなら、黙ってくれ」と返すBOTであれば、会話の見た目は整います。

A 「やあ、調子はどうだい?」
B 「つまらないことしか言えないなら、黙ってくれ」
A 「そんなこと言わないでくれよ。機嫌でも悪いのか?」
B 「つまらないことしか言えないなら、黙ってくれ」
A 「はいはい、わかりました。君がその気なら、こっちだって考えがある」
B 「つまらないことしか言えないなら、黙ってくれ」

少なくとも、意味的な破綻はこの「会話」にはありません。Aが言ったことについて、一切の意味的解釈を行わなくても、「会話」が成立しているのです。BOTなら少々の表現を変えて、単純な繰り返しにならないように「配慮」することも容易です。

著者はこのことから、以上のようなステートレスな会話をしてしまうと、BOTと人間の違いをアピールすることは難しいと思い至ります。ステートレスな会話は、「人間らしさ」の目立った特徴ではないのです。

しかしながら、ステートレスな会話は人間でも__特に機嫌の悪い人間ならなおさら__行ってしまうときがあります。そのとき、私たちは「人間らしさ」を(一時的にではあるにせよ)失っていると言ってもよいのでしょう。

それは物質的な何かが消失しているといったことではなく、この世界に存在する、誰かが感じる「人間らしい」という感覚の総数を減少させているのです。それはもしかしたら、文学が私たちにもたらしてくれるものとは逆の働きなのかもしれません。

さいごに

本書は、何か一つのことを明確に述べる、というタイプの本ではありません。さまざまな分野の話を、多彩に(悪く言えば乱雑に)展開していきます。よって、「人間らしさとは、○○である」といった結論には至りません。しかし、そのことが本書の価値を減じているとも感じません。

むしろ、それを定義づけてしまえば、自明のものとして扱われ、本書が警告を慣らすメソッド化へと繋がってしまいます。

ある意味では、「人間らしさとは、○○である」という問いに向き合い続けていくことそのものこそが、人間らしさなのかもしれません。

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