7-本の紹介

著作権法についての本を読んでいろいろ考えたこと

クリエイターが知っておくべき権利や法律を教わってきました。著作権のことをきちんと知りたい人のための本
クリエイターが知っておくべき権利や法律を教わってきました。著作権のことをきちんと知りたい人のための本 鷹野 凌 福井 健策

インプレス 2015-04-24
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を読みながら考えたことを、ぽつぽつ書いてみようと思う。

まずは著作権法第1条(目的)だ。

この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

著作権法の目的は「文化の発展に寄与すること」だとある。

で、そのために「公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図る」という手段を用いる。

この関係性は頭に置いておきたい。著作者の権利を守ることが第一義の目的ではない。「文化の発展に寄与すること」が目的なのだ。権利を守ることは、そのための手段でしかない。

なぜこれが大切かと言えば、もし権利を守ることが第一義の目的であれば、その権利はどこまでも拡張する可能性があるからだ。他の誰にも、どんな形であっても利用させないという制度が、想定上はありうる。

しかし、目的が「文化の発展に寄与すること」であれば、そうはいかない。

たとえば、私が何かの主張を記した本を出したとしよう。画面の50%以上がアフィリエイトのブログは消滅すべしとか、まあなんでもいい。ともかく過激な主張だ。

現状の制度であれば、その主張の一部を引用し、そこに反論を加えることができる。あるいは何かしらのデータを持ってきて検証することもできる。逆に、引用を使って、さらに主張を拡張することもできる。

どのような方向であるにせよ、これは文化的に豊かな方向に向かっていると言えるだろう。どんな形であれ著作物を利用させない、というのがまかりとおるならば、こうした反論も検証も難しくなる。文化の発展には寄与しない。コンテンツが開かれているからこそ、文化は広がっていくのだ。

かといって、その方向をまっすぐ伸ばすのも危うい。

「なんでも自由に利用して良い」ならば、私の主張をあたかも自分の主張であるかのように提出する模倣者は後を絶たないだろう。自分の著作物を利用して益を得るのも難しくなる。となると、著作物を最初に提出するのは馬鹿らしく感じるだろう。他の人が面白いコンテンツを出すのを虎視眈々と待ち構えれば良いだけだ。

そんな状況で、文化が発展していくだろうか。いささか厳しいという予想は容易に立つ。
※実際はどうかはわからない。発展するかもしれない。

結局、「文化の発展に寄与すること」が目的になっている時点で、綱引きが行われることになる。あるいは、行われなければならない。片方は公共のため、もう片方は著作者のため。それぞれが両方で目一杯綱を引くからこそ、バランスは維持される。片方だけが綱を引いては、そもそも綱引きにならない。

著作権について考える上で、この視点は外せないだろう。

私的使用・非商業

さて、本書を読んでいて、頭の隅にずっとひっかかっていたのが、私的使用と営利を目的としない上演についてだ。

著作権法第30条の第一項にはこうある。

著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

一部の例外はあるものの(例外については、引用元のページを参照のこと)、個人的あるいは家庭内の利用については、複製しても問題はない。買った本のページをコピーしたりするのは、全然OKなわけだ。そうしたコピーを行っても、著作権者の益が損なわれる可能性は低い。だから著作権法の目的から見ても問題はない。

しかし、それを公衆というか不特定多数というかパブリックスペースに公開するのはどうだろうか。公共的に見て得する人はたしかに増える。しかし、著作権者の益が損なわれる可能性がある。それも、著しく損なわれる可能性がある。特にこのデジタル蔓延世界ではそうだろう。最大多数の最大幸福で考えると、権利者の立場は危うくなってしまう。ここはしっかり綱引きが必要だ。

営利じゃなくても

もう一つ、「営利を目的としない上映等」についてもみてみたい。

著作権法第38条の第一項はこうなっている。

公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。

第四項はこうだ。

公表された著作物(映画の著作物を除く。)は、営利を目的とせず、かつ、その複製物の貸与を受ける者から料金を受けない場合には、その複製物(映画の著作物において複製されている著作物にあつては、当該映画の著作物の複製物を除く。)の貸与により公衆に提供することができる。

この辺りをざっくり読んでいると「営利目的じゃないならOK」な気分がしてくる。

たとえば路上で演奏するストリートシンガーが、別のアーティストの歌を歌うのは構わないけれども、帽子をひっくり返してお金を求めるようになるとアウト、みたいな話だ。インターネット上に存在する「素材」も、非商業ならご自由に利用ください、というものが多い。

こうした環境から、もしかしたら一定の価値観というか考え方が生まれているのかもしれない。「企業じゃなく個人で、しかも営利目的でやっていないからなんでも自由に利用できる」という考え方が。

しかしながら、考えるべきは企業か個人かといったことではなく、それが著作権者の益を毀損していないかどうか、という点だろう。個人の場合でも、公衆に著作物をばらまけば、著作権者の益にダメージを与えられる。「営利じゃないから、いいでしょ」というわけにはいかない。

でもって、ウェブ空間は第二の公衆であるからして、他人の著作物の扱いには慎重さが求められる。

さいごに

以上のような話は、わりにストレートである。で、もう一つややこしいというか込み入った疑問がある。

それは「営利目的」「料金を受け取る」の線引きだ。

たとえば、ブログを更新すること。たいていの場合、これは営利目的ではない。

しかしそこに、何かしらの広告を載せたらどうなるだろうか。

直接的にコンテンツを販売しているわけではない。さらに言えば、利用者から料金も徴収していない。あくまで、直接的には。

だとしたら、これは路上で帽子を裏返さずに演奏しているアーティストと同じ……と言えるのだろうか。

間接というのは、ときどきいろいろなものを見えにくくしてしまう。そんな気がする。

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