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長文記事(Longform)とライターの力

WIRED.jpの「甦る巨人:Microsoftの新CEOサティア・ナデラと「HoloLens」の革新」という記事を読んだ。面白い記事である。

そして、長い。

screenshot

H1に「01/13」とあるが、これは1月13日ではなく、13ページ中の1ページ目、ということだ。いや、その表現は間違っている。なんといっても、この記事は1ページしかない。1ページにすべてが詰め込まれている。すると、13コンテンツ中の1コンテンツと表現した方が良いだろう。

とにかくボリューミーな記事なのだ。テキストだけでなく、画像もグラフも動画も入っている。いかにも「読み物」という感触の記事だ。


この記事を読んで、いろいろ考えた。

まず、ユーザーの読書体験を著しく損ねるようなページ分割の発想がこのページにはない。12回もクリックさせられたあげく、「あっ、あれどこに書いてあったっけ?」とリンクを跳びまくる必要もない。すべてはスクロールで完結する。読みたくない部分は読み飛ばせるし、それでいて分割されたページのように完全にとばされるわけではない。ちらっとは目に入る。

1つのコンテンツは、日本語でおおよそ1000字〜1500字といったところ。平均的なブログ記事(読み物系ブログの、という意味)の長さとだいたい同じである。それが13個、どどーんと1ページの中に詰め込まれている。かといって、そこにぎゅうぎゅうさは感じられない。

H1を幅太くデザインし、それぞれのコンテンツがあたかも1ページであるかのように表現されている。非常にうまい見せ方だ。雑誌的と言ってもよいだろう。もう少し言えば、ウェブにおける雑誌的な、という感触だ。

縦長で要素が詰め込まれているが、読書体験は損なわれていない。断片的な記事を読むかのように、長文を読むことができる。言い換えれば、断片的な記事を読むことを重ね合わせて、大きなコンテキストへと接続している。

ちなみにページ分割されていないと、記事内で単語を検索するときに非常に便利である。これもウェブ的な発想と言えるだろう。


The VergeでもLongformなるものがあるらしい。たとえば、こういう記事。

Slot machines perfected addictive gaming. Now, tech wants their tricks

まず、最初に言っておきたいのが、こういうやり方が採算的にどうか、というのは私にはまったくわからないということだ。短い記事を連発している方が、儲かるのかもしれない。が、その物差しで測るのはとりあえずやめておこう。だいたい私の仕事ですらなさそうだ。

というわけで、非常に単純なことを考える。こうした記事は、普通の記事に比べて5倍〜10倍のボリュームがある。当然、それに比する読む時間を要する。Longform系の記事が一つ読まれるたびに、他のブログ記事が読まれる時間が減少する。それも、大幅に減少する。Longform記事1つに対して、5〜10の記事が「まあ、いいか」と飛ばされてしまう。

もちろん、そんなに単純な話ではない。記事を読む時間の総量が増えれば、そうした時間の奪い合いは回避できる。しかし、どう考えてもそれは楽観というものだろう。時間はすでに奪い合いの対象となっている。

私は別に「これからのブログはLongformの時代だ!」と言いたいわけではない。理由は後述するが、そうは決してならないだろうという予測もある。が、それはそれとして、Longform系の記事を好む人はいるだろうし、そういう人から「いささか魅力が劣る」記事を読む時間がなくなっていくことはありえそうだ。


Longform系の記事は、一冊の本よりはずいぶんと短いが、これまでのブログ記事よりは充分に長いと言える。断片的になりがちな情報に、中規模の流れを与えることができる。そして、それは読者との関係性を結ぶ。SEOではなく、読者の心に残る存在となるわけだ。

しかし、こうした記事は簡単には書けない。13個のブログ記事を「キュレーション」して1記事に埋め込んでいるのではないのだ。クラウドなライターに分散作業を頼んでも、それだけでLongformになるわけではない。そこには一冊の本を書き上げることが持つ困難さの、縮小版が存在している。

だから、「Longformが流行っているから真似しよう」と思い立ったところで、すぐさま実行に移せるわけではない。文章をシンプルに短く書くのは難しい。だからといって、長文を紡ぐのが簡単というわけではない。特にまとまりのある長文をつむぐことには、別種の難しさがある。ライターの力が、もろに出てしまう。正確な文章を書く力ではなく(もちろんそれも必要だが)、ストーリーを構築する力、それを語る力が必要なのだ。

そう考えると、こういう手法が流行ることはまずありえないだろう、という結論になる。「物真似しようと思ってもできない」のではなく、そもそも物真似できるとすら思わないのだ。
※短い記事は真似できる気がする、ということでもある。

ゆえに、圧倒的な差別化要因となる。

だからといって儲かるとは限らない、というのは最初に書いたとおりだ。


『機械より人間らしくなれるか?』という本で、断片的な応対ならばbotでも充分に可能だが、長い文脈を持った応対となると途端に難しくなる(=人間らしさが出てくる)という話題が登場する。

二つの話を重ねあせてみると、いろいろ面白そうな模様が浮かび上がってきそうだ。

※ちなみにこの記事もメタ的にLongformにしようかと思ったが、どう考えても厳しそうなのでやめておいた。やっぱり難しいのである。

▼参考文献:

文庫 機械より人間らしくなれるか? (草思社文庫)
文庫 機械より人間らしくなれるか? (草思社文庫) ブライアン クリスチャン Brian Christian

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