6-エッセイ

継承とフィルターと個人的

5月末に以下の本を発売してから、もう一ヶ月以上も経ちました。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと
ブログを10年続けて、僕が考えたこと 倉下忠憲

倉下忠憲 2015-05-28
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たくさんの方にご紹介していただけて、実にありがたいかぎりです。以下のページに書評記事をまとめてありますので、ご興味あればどうぞ。

ブログを10年続けて、僕が考えたこと | Official Website

ふだんよく知っている方から、ぜんぜん知らなかった方までいろいろな人に紹介してもらっております。それぞれの切り口も面白いので、その点についてもまとめてみたいのですが、今回は別のお話を。

[書評]ブログを10年続けて、僕が考えたこと(倉下忠憲):Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

上の書評記事を読んで、二つ考えたことを書きます。

継承

この10年の、ぼく自身の「ブログ」に関する感覚の推移は、本書に書かれたものとはずいぶん異なっている。それはたぶん、デイブ・ワイナーのブログ「Scripting News」をレファレンスにしてきたからだろう。

まったく何もないところから、突然「そうだ、ブログを始めよう」と思い立ったりはしないでしょう。何かしらの「あこがれ」や「ロールモデル」が先に立っているはずです。

その「あこがれ」の先は、ブロガーなのかもしれませんし、あるいはプロの作家やライターなのかもしれません。なんであれ、目の前に広がる風景の中から、進むべき方向を決めているような感覚があるはずです。別の言い方をすれば、自らの歩みはその目に映る風景に引っ張られているのです。

このことは、とても大きな意味を持ちえます。

私は、村上春樹やスティーブン・キングを文章を書くことの「あこがれ」にしてきました。また、ブログに関してはとあるブロガー(本には名前が書いてありますが、ここでは割愛)のことを、「この人すげーな」と見上げながら続けてきました。

自分が見てきた(あるいは見ている)いくつもの風景に引っ張られて歩んでいるのです。その風景は、ほとんど多くの人が見ている風景に近いのかもしれません。でも、やっぱり私だけが見ている風景も部分的にはあります。だからこそ、それぞれの人がたどり着く場所が違ってくるのです。

ただし、手法や作り出すものがまったく異なっていても、風景の先に「見ているもの」は同じ、ということはあるでしょう。

AはBにあこがれを感じ、そのBはCに、CはDに、DはFに……と、次々にさかのぼっていくと、A〜Zに共通する何かがあるはずです。それは、安易な言葉を使うなら志や矜持という表現になるのかもしれませんし、もっと簡単に言えば「何を大切にするのか」という優先順位や価値観に落ち着くのかもしれません。

ともあれ、それは継承ということです。何かが引き継がれているのです。

ここでは実に奇妙なことが起きています。

  • 継承ということは、全体の一部である、ということです。
  • しかし、それぞれがたどり着く場所は違っているのです。
  • あるいは、それは一つのことの裏表なのかもしれません。

この「奇妙なこと」の逆の話も想定できますが、そこに突っ込むのはやめておきましょう。

フィルター

「Scripting News」の特徴は、あらゆるものがミックスされていることだ。本業の開発はもちろん、映画も自転車も文章を書くこともメディア論もアメリカンおじさんジョークも政治についての見解も。

ただし、単なる「何でもあり」ではない。いずれもワイナーという個人のフィルターを通過した「パーソナル」なものごとだ。

マッコウクジラみたいに大きな、そして扱いづらいテーマです。なので、簡単に触れるだけにします。

まず、「個人のフィルター」というものが、おそらく「個人」そのものだ、ということ。「その人」の、その人らしさは、そのフィルターによって確立され、他者に印象づけられているといっても良いでしょう。botと、そうでない存在を切り分けるのも、このフィルターです。「機械的な応答」が機械的に感じられるのは、このフィルターの欠如によるものです。

さらにいえば、このフィルターはダイナミズムに晒されているので、還元的に解析することは(たぶん)できません。限りなく「っぽい」ものには近づけるでしょうが、限界はあります。この点には留意したいところです。あと、フィルターを通すには時間がかかる点も忘れてはいけないでしょう。


もう一つ、上の記事には「個人的(personal)であり、個人的(private)ではない」という表現が出てきます。

これはうまい表現で、日本語だけだとシンプルに言い表せないかもしれません。

個人的(private)とは、閉じていることです。対して個人的(personal)とは開いている(つながっている)ことです。

privateは、publicからの隔離ですが、personalは、むしろpublicに個を置きます。

privateは、好き勝手にバラバラにやろうですが、personalは、自分がやるべきことをやろうです。

privateは、幻想的で限定的ですが、personalは、現実的でロマンチック(≒ビジョナリー)です。

privateは、たった一人の世界で個性を主張しますが、personalは、雑多な世界でうまくやろうとします。

さいごに

『ブログを10年続けて、僕が考えたこと』は、私が経験してきたことから語りを起こしています。その意味では、極限的に個人的な話です。でも、個人的な話で閉じているわけでもありません(あるいは、そのようなつもりで書いています)。ヒントはあっちこっちにあって、個人のフィルターを通して読み解けば、何かしらいろいろと見つかるでしょう。

逆に、敷衍して汎用性がある話に見えて、個人的に閉じてしまっているようなお話もありますね、みたいな話はやめておきましょう。

ちょっと時間がないので深掘りできないのですが、「個人的(personal)」と「個人的(private)」についてはもう少し考えてみたいところです。

では、では。

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