「今後20年の、発想技法の本はどのようなものになるか?」

ゴールが見えてきました。加藤昌治さんとの往復書簡。僕が今回投げたボールはデカイです。: 石井力重の活動報告

「この20年で発想法の本はずいぶん変わりました。シンプルになり、即効性のものになりました。洗練、といえば、大いに洗練された20年だったと思います。思考技法の表層化、といえば、もしかしたら、後年そう評価される20年だったのかもしれません。

この先20年で、社会から求められていくアイデア発想法の本は(あるいは、広くカテゴリーを切りなおして、創造技法の本は)、どのようなものになるんでしょうか。

この手の質問は、返しの第一声は「そりゃー、それが分かれば苦労しないよ」なんですが、その次に、洞察がつづられていきます。加藤さんの二言目を、ぜひ、教えてください。」

別に私にパスされたボールではないのですが、興味深い問いかけです。

「今後20年の、発想技法の本はどのようなものになるか?」

一応私も発想法の本の著者ですから、ちょっと考えてみましょう。

広がる発想技法

「発想技法の本のこれから」を考えることは、「発想技法のこれから」を考えることに近しいものがあります。

そこで二つの枠組みで考えてみましょう。

一つは、社会の枠組みです。もっと言えば経済です。

今後もし日本経済がとことん低迷して、ロボットにでもできる__というとロボットに失礼かもしれませんが__単純作業しか仕事が回ってこないのならば、発想技法は必要とされないでしょう。その場合、発想技法の提案者は日本語以外の言語で発信することが求められます。

仮にそうした暗い未来ではなく、日本社会が高度情報化社会として発展(あるいは維持)していく場合はどうでしょうか。

その場合は、発想技法の活躍の舞台が大きく広がることが予想されます。広い意味でのビジネス(行政なども含む)だけでなく、たとえば学生、たとえば主婦(あるいは主夫)といった具合に、これまで発想技法が必要と思われていなかった分野にまで、その必要性が広がっていくことでしょう。

当然、「本」もそうした環境にアダプテーションしていきます。『主婦のためのウキウキ発想法』なんて本は2015年ではどこの出版社も蹴り飛ばすでしょうが、2025年ならどうなるかはわかりません。ちなみに、梅棹忠夫さんは『情報の家政学』で家庭もまた知的生産の現場であるとすでに述べられているので、これは別に新しい話ではありません。

コンピュータと発想技法

もう一つの大きな枠組みが、コンピュータの進化です。

乱暴に言ってしまえば、これまでのコンピュータは人間の発想にそれほど貢献していません。せいぜいが補助する程度です。

一番大きな貢献がワープロの登場で、このツールによって文章の書き方が根本的と呼べるほど変化を遂げました。その辺りのお話は木村泉さんの『ワープロ作文技術』にも出てきます。

しかしながらワープロ以後に、抜本的な何かは生まれていません。一番良い線をついているのがEvernoteですが、発想技法という観点から考えた場合、まだまだ力不足な要素は多いでしょう。

ただ、この状態がずっと続くとも思えません。どこかで二回目のブレイクスルーが起こることは十分ありえます。

そこでは大きく、三つの考点があるでしょう。

一つめは、ウェアブル端末などのセンサーの活用。特に脳の状態を観察し、利用者にフィードバックを与えることができれば、発想技法に強いインパクトが生じる可能性があります。

二つめは、あたらしいディスプレイの可能性。Microsoftが打ち出してきたVRグラスの「HoloLens」は、私たちに狭いディスプレイからの解放をもたらしてくれます。

私が常々iPadで付箋系ソフトを使っていて感じるのが「こんな小さい画面でやってられるか!」というものです。逆に、その点さえ除けば、指で操作できるデジタルの付箋ツールはすごく便利なのです。もし、視界にある壁を付箋ボードとして利用できるなら、それはアナログでもデジタルでもない__といってもデジタルなわけですが__新種のアイデア発想体験となるでしょう。


最後、三つめの考点は、ビッグデータや人工知能です。

正直ここは難しい話を含んでいます。大量のデータを集めれば、因果関係は別として、ビジネスで利用できる相関関係を見つけられる。だったら、アイデアなんていらなくなるんじゃないの、みたいな疑問は当然生じることでしょう。商品開発でも広告のデザインでも大量のデータさえあれば、「そこそこ機能する何か」を生み出すことはできるでしょう。低コストでそれが回るなら、アイデアを生み出す人間は不要になってしまうかもしれません。

しかし、別の観点もありえます。

暦本純一さんが、こんなことを述べられています。

暦本純一さん~実世界と人間とコンピュータの関係を考える「実世界指向インターフェイス」とは?

(前略)たとえばチェスの例だと、世界チャンピオンよりもコンピュータが強くなってチェスリーグの存在が危ぶまれたとき、「アドバンスチェス」という発想が出てきました。コンピュータと人間のチームがチェスをするというものです。両者の力が合わさるので、人間よりも、コンピュータよりも強くなる。そこがポイントです。「機械だけでは実現できないし、人間だけでもできない」という、新しく、そしてよりよい関係がつくれるわけです。

おそらくビッグデータ、あるいは人工知能と人間のアイデア発想の良好な関係もこうした形、つまり「アドバンス発想技法」にあるのでしょう。コンピュータのサポートに頼って人間の脳をダメにするのではなく、むしろより脳の能力を発揮させるような形にすべき、という提言はニコラス・G・カーが『オートメーション・バカ』の中でも展開しています。

おそらくその「アドバンス発想技法」では、センサーが私たちの脳を観察し、私たちはこれまでとは違ったUIでコンピュータと接し、そのコンピュータは莫大なデータとリアルタイムでウェブで動いているものを吸収しながら、私たちに向けて発想を刺激するものをぼんぼんと放り投げてくるのでしょう。

しかも、それは「それとなく」行われるはずです。コンピュータが私たちの前から姿を消す(≒見えなくなる)ように、「アドバンス発想技法」も、見えないところに潜り込んでいくでしょう。

さいごに

最終的に「発想技法の本」のいきつくところは、消滅という名の停留所です。しかしそれは足踏みすることを意味してはいません。むしろ、そこからバスを乗り換えるのです。

「本」という形で提示するのではなく、私たちが日常的に使うマシンに、ツールに、UIに、自然に組み込まれるように発想技法をre:デザインするのです。

というわけで、『主婦のためのウキウキ発想法』と、SFチックな本の消滅というまったく異なる二つの姿が浮かんできました。どちらの場合にせよ、「何か特別なものではなくなっていく」という傾向は共通しているように思います。

しかしまあ、まだ5年ぐらいは「これまでの発想技法の本」は必要とされるでしょう。物書きとしてはそういうものにも取り組んでいきたいところです。それより先の話は、何か小説的なもので書いてみたいですね。

▼参考文献およびリンク:

情報の家政学 (中公文庫)
情報の家政学 (中公文庫) 梅棹 忠夫

中央公論新社 2000-06
売り上げランキング : 86498

Amazonで詳しく見る by G-Tools

ワープロ作文技術 (岩波新書)
ワープロ作文技術 (岩波新書) 木村 泉

岩波書店 1993-10-20
売り上げランキング : 361122

Amazonで詳しく見る by G-Tools

オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること-
オートメーション・バカ -先端技術がわたしたちにしていること- ニコラス・G・カー 篠儀直子

青土社 2014-12-25
売り上げランキング : 72710

Amazonで詳しく見る by G-Tools

甦る巨人:Microsoftの新CEOサティア・ナデラと「HoloLens」の革新 « WIRED.jp
現実空間にホログラムを投影する「HoloLens」デモがすさまじすぎて必見レベル – GIGAZINE

1 thought on “「今後20年の、発想技法の本はどのようなものになるか?」”

コメントを残す