ふと考えたんですが、「クリエーター」ってかなり漠然としてますよね。括りが大きいというか。
自らの情熱や葛藤を芸術作品として生み出す人もクリエーターですし、他の人を楽しませるために作品を作り出す人もクリエーターです。あるいは、業務上の効率性を高めるためにプログラムを書く人も、クリエーターと言えばクリエーターです。
そんなことを言えば、何かを教える人も授業という体験をクリエートしていますし、そこで使う教材なんかも作っているかもしれません。これだってクリエーターでしょう。
さらに畳みかければ、報告書やプレゼンテーションを作ることだって、クリエートと言えるかもしれません。だったらもう、なんだってクリエーターではないでしょうか。
クリエーターの反対と言えば、デストロイヤーとかになるのかもしれません。いかにも恐ろしいですね。
たとえば、重機を使って廃ビルを解体している人は、クリエーターというよりもデストロイヤーに近しいイメージがあります。しかし、見方を変えれば「空き地」を作っているとも言えるわけで、それだってクリエーターかもしれません。
詐欺師は「ついつい引っかかる美味しそうな話」を作りますし、起業家は会社を、物乞い(beggar)は寄付する機会を、水道料金の調査人は請求書を作っています。人類皆クリエーター__というのはさすがに言いすぎにしても、仕事の多くは何かを作っていて、アンドロメダ銀河のように広い目で見れば、それをクリエーターと呼ぶことだってできるでしょう。
かといって、それらが同じである、と断ずるのも少々短絡的です。
- アーティスト
- エンターテイナー
- エンジニア
- プレゼンター
- エデュケーター
- メンテナンサー
- トリックスター
とか適当に書きましたが、いろいろな表現があります。
何かを作るとして、何のためにそれを作っているのか、どのような結果を求めてそれを作っているのか。そういう違いに注目した方が良いのでしょう。そうすれば「クリエーター同士の噛み合わない会話」みたいなものを避けられるでしょうし、間違ったノウハウを吸収してしまう可能性も減りそうです。
「作る」や「生み出す」の部分は共通していても、何を求めてそれをするのかによって、適用できるノウハウや守るべき基準といったものも変わってきます。TED動画を参考にして、会社の新商品プレゼンテーションを作る? 論文の形式を守りながら娯楽小説を書く? というのはいささか極端な例にしても、やはり違うものには違うルールがあるわけです。あるいは違うルールがあるからこそ、違うものになっているわけです。
これは同じ人であっても、行為を行う場所によって、何かを変える必要があることも示しています。その辺のさじ加減がわからないと手痛い失敗をしてしまうかもしれません。
たぶんこれは「ライター」とか「ブロガー」とかにも言えるのかもしれませんね。