メディアの拡散力と車のブレーキ

あるテクノロジーが持つパワーが大きくなればなるほど、それを制御するための技術の重要性も増してきます。軍事、航空、発電。いくらでも例はあげられるでしょう。

車一つとってもそうです。もし自動車というものが5km/hしかスピードが出ないなら、中学生が運転していても大事故は起きないでしょう。しかし、実際は軽くアクセルを踏むだけで60km/hなんて簡単に出てしまいます。不注意な運転が、運転者だけに留まらず通行している人に甚大な被害を与えることはあえて書くまでもありません。

仮に運転免許という制度がなかったらどうなるでしょうか。

家電量販店に行き、まるでパソコンを買うみたいに車が買えて、そのままドライブに出かけられるような社会であれば。

もちろん前には進めます。操作方法はトリセツを3ページも目を通せば了解できます。かといって、安全に目的地に到着できるかはわかりません。難しいのは「アクセルを踏む」「ブレーキを踏む」といった動作ではなく、「いつそれを行うのか」「なぜそれを行うのか」「どのくらいそれを行うのか」という体験や理解に関する部分です。

見通しの悪い道では速度を落とす。急カーブでは速度を落とす。

そうした一つ一つの注意が事故の発生確率を下げます。そして、日本中で運転しているドライバーが同様の注意を払っているからこそ、車の事故は溢れかえるほど多い、というほどにはなっていません(もちろんゼロでもありませんが)。

もし日本で車を運転している人が一人であれば、彼が払う注意はずいぶんと少なくなるでしょう。あるいは、日本の道路という道路が直進レーンで、歩行者など一切近寄って来れない場合でも似たようなものかもしれません。

しかし、実際は、走っている車は多く、道路にはほとんどトラップと言えるような困難な箇所があり、車以外の交通者も関与しています。注意して運転すること、そしてアクセルを踏んで前進するだけでなくブレーキを踏んでスピードを落とすことは__個人の利益からも公共の福祉からも__必須の要素となります。


ということを考えたときに、日本国にインターネットが普及して、個人が簡単にパブリッシュできる環境を手にしたということは、即ち個人がパワーを手にしたということであり、それによって個人の情報が日本中に拡散することで影響力を獲得できるようになった反面、ブレーキの踏み方を知らないととんでもないことになる、ということがおぼろげに浮かんできます。

パブリッシュにおける「ブレーキの踏み方」にも、きっといろいろな要素が含まれていることでしょうが、基本的には「何を書かないか」ということだと思います。どんな表現を使わないか、どんなテーマは持ち出さないか、といったことです。

古き良きインターネットでは参加している人が限られており、しかもそういう人たちはある種「偏って」いたので、ブレーキの技術をもともと持っていたか、あるいはなくてもさほど困らない状況だったのでしょうが、今はそうもいってられない状況になっています。

まあ、メディア・リテラシーということなんですけれども、その重要性みたいなものは、誰も回りのことを気にせずに運転している車社会を思い浮かべてみると、なんとなく見えてくるのかもしれません。

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Rashita
物書きをやっております。実用書から小説までなんでもござれのハイブリッド物書きです。 ライフハックや仕事術、知的生産などに興味があります。

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