0-知的生産の技術

ボトムアップのしにくさ あるいはブログとセルフ-パブリッシング

最近、ボトムアップしにくくなっています。

というのも、セルフ-パブリッシングがあるからです。

まったく、わかりませんね。

紐の一端を引っ張ってみましょう。

コンテキストを後から作り上げる

たとえば、『真ん中の歩き方』という本があります。このブログの傑作選です。あるいは『マシュマロをもう一つ』という本もあります。このブログの「セルフマネジメント」に関する記事を集めた本です。他にも、このブログの記事を素材にして作り上げた本がいくつもあります。

当初、私はそんな本作りをするとはまったく考えていませんでした。たんに毎日毎日、その日書きたいことを書いてきただけです。

が、ローコストなセルフ-パブリッシングが登場し、それらの記事をまとめて本にすることができました。それぞれの記事は無料で公開しているものではありますが、それをまとめた「本」にも一定の価値があると私は感じています。

それはいいのです。

しかし、私は物書きとして生きているわけで、それはつまり生き続けている限り本を書き続けるということです。ということは、これからもR-styleの記事を素材とした「本」を作ることになるでしょう。消そうとしても、どうしてもその思念は脳の裏側にこびりついてしまいます。

すると、記事を書くとき、あとで本でまとめることありきな発想が出てきます。だって、その方が効率が良いですからね。

そうした行為の是非を論じるつもりはありません。単にそれが、ボトムアップではない、ということです。すると作り方の感触も違ってきますし、結果としてできあがる本も違うでしょう。その辺の差異をどのように吸収していいのか、今のところ戸惑いを感じています。

カオスの可能性

  • まったく文脈を設定せず書き散らかした記事を、本の素材としてまとめること。
  • ある程度の文脈を意識して、個別の記事を書き、それを後からまとめること。

同じように見えて、この二つは明らかに別物です。もう一度書きますが、どちらが良い・悪いという話ではありません。単に「違う」という事実を受け入れておくべきだろう、ということです。

既定のコンテキストに従ってテキストを投下するとき、そこには束縛が生じてきます。コンテキストがない(あるいは弱い)状況で投下されるテキストとは、自由度が違うのです。

であるがゆえに、コンテキストフリーで書かれたものを後からまとめるのはしんどくなります。なにせ文脈がない状態から、文脈を作っていかなければならないわけですから。

さいわいR-styleというブログ自体にコンテキストがあるので、それをまとめることはまだマシな作業です。しかし、あらかじめコンテキストを定めて書いた記事をまとめるよりはずっと手間がかかることも確かです。

その手間の分、コンテキストに広がりが生まれる可能性が秘められています。テキストに厚みが生まれる可能性を有しています。「なんかよーわからんけど、おもろい」本が生まれ出る可能性が(少しばかり)高いのです。

あらかじめ想定される一つ上の階層

どうも最近の私は、何か書きたいトピックがみつかると、一つ上の階層をイメージしてしまっています。

たとえば、2000字相当のテキストを思い浮かべるとき、それを章の一つとした、全五章の「本」を構想しているのです。しかしながら、その時点で、残りの四つの章はまったく浮かんでいません。

だから、先に進まないのです。問題はこれです。

どうしても五つ分の章の構成を固めてから文章を書きたくなるのです。それは明らかにテンポがよくありません。そこには「とりあえず」の精神も、プロトタイプ思考もありません。

R-style厳選集は、無策に書き散らかした記事をぜいぜい言いながらまとめました。お気楽な本に見えますが、そこには結構な苦労があるのです。そして、人間は苦労を回避したいと願うものです。

誰だってスマートにやりたいでしょう。効率的に作業を行い、有益な時間を作り出したいものです。だから、あらかじめまとめるときの苦労を削減するように動きたくなります。

もちろん、それはそれで結構なことです。同じように作業が進めば___という前提がつきますが。

全体の構成なんて簡単には固まりません。たいていそこには「書いてみないとわからないこと」がたくさん含まれているからです。もしこれが仕事であるならば、締切に追い立てられるように懸命に章立てを考えるでしょう。しかし、今私の目の前にあるものはコミットがある仕事ではありません。だから、全五章の章立ては、第一章だけのまま放置されます。

もし、その第一章にあたる原稿を、実際にテキストで書いてみたら、また世界は違ってくるかもしれません。というか、違ってくるでしょう。書いたことに触発されて、また別のアイデアが生まれ、それを文章にすることで、さらに別のアイデアが……と拡がっていくはずです。

もし拡がっていかないのならば、初めからその構想は袋小路だったというわけで、失敗が明らかとなります。それはそれで一つの成果でしょう。

未完成の構成のままでは、前に進むことも、新しい道を選択することもできません。これは困ったことです。

さいごに

もちろん、この話は「セルフ-パブリッシングの弊害」といったことではありません。私と、私が使うメディアの付き合い方がまだうまく見定まっていない、ということです。

新しいメディアが加わったことで、全体の関係性が変わりつつあります。これまでと同じようにはいかないでしょう。

しかしながら、R-styleはR-styleで在り続けたいものです。

実験的なことがなくなり、小さくまとまってしまうのは、あんまり楽しくありません。セルフ-パブリッシングを取り込みつつも、それに隷従しないブログの在り方が最近の課題です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です