タスク管理とフリーライティング あるいは電源としての混沌

タスク管理アプリとタスクエディタ:Word Piece >>by Tak.:So-netブログ

そして気づくのは、「タスクを管理する」ことと「タスクを考える」ことは
少し違うということです。

何が、どのように違うのだろうか。

朝一番に、Evernoteのノートを開く。「その日」用のノートだ。

そこに、気になることをずいずいと書き出していく。短いフレーズを重ねる、断片的なフリーライティング。

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※人名は後から書き換えた。

そこにはいろいろなものが出てくる。タスクであったり、タスクでなかったり。アイデアであったり、アイデアでなかったり。脈絡があったり、脈絡がなかったり。

そう。

私たちが出発点とするべき知見は、まずここにある。「頭の中はごちゃごちゃしている」。

ごちゃごちゃした状態では、管理はできない。よって、それを整理する必要がある。が、その整理は簡単なものではない。混沌に秩序を与える作業なわけだから。もしかしたら、そうして整理されたものは完全とは言えないかもしれない。完璧とは呼べないかもしれない。しかし、たとえかりそめであっても、そこに秩序を与えないことには整理がきかないことも確かなのだ。

便宜的な秩序。

その秩序に沿って、私たちはタスクを実行していく。

しかし、混沌は常に流動している。変化している。だから、便宜的な秩序の「秩序さ」は時間と共に失われていく。徐々に徐々に形骸化していく。だって、私たちの頭の中はごちゃごちゃしているものなのだから。それは整理を拒絶するものであり、連続的な変化を常に含むものでもある。

よって、秩序の回復が必要だ。

それが、週次レビューであり、瞬時レビューであり、フリーライティングである。

実際なんだっていいのだ。混沌をできるだけ混沌に近い形で受け止められるものならば。タスクというものを、その周辺から眺める視点を持てれば。一つだけ、アウトラインの階層を昇ることができれば。

それだけで、私たちは形骸化しつつある秩序から、より頭の中に近い混沌に踏み込むことができる。

タスクは、タスクだけでは生まれない。何かから派生するのだ。

その何かは「タスク管理」においては余分なものかもしれない。不必要なものかもしれない。でも、それを完全に切り離すことはできない。やってもいいが、それは充電式の掃除機のようなものだ。いくらかは稼働はできる。でも、いずれかは電源に戻ってくる必要がある。混沌という電源に。

先ほどのノートに少しだけ秩序を与えてみた。

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チェックボックスが加わったもの、チェック済みのチェックボックスが加わったもの、リスト化されたもの、追記されたもの、アイデアノートに移行したほうがよさそうなもの、そして相変わらず扱い方がよくわからないもの。そんなものに分けられた。タスク・プリズム。

その後、チェックボックスがついたものだけが、タスク管理の実際的な対象となる。

でも、背景はいつだって存在しているのだ。あなた自身という背景が。

▼その他参考リンク:

はじまりのフリーライティング (第2回) | gofujita notes