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ブロガーとライター

僕たちが、「ライター」(writer)という言葉を使うとき、そこには職業的な意味合いが込められている。

もちろん、私たちは識字率の高い国に住んでおり、大半の人が文章を書くことができる。その意味で、writeする人、という意味では皆がライターではある。一億総ライター社会。

でも、ライターという言葉を使うときは、そういう意味には使っていない。そのスキルで仕事をしている人、というニュアンスが込められている。それは、歌がうまい人がいても、別にシンガーとは呼ばない、というのと同じである。シンガーというときは、やはりシングを仕事にしている人が意味されている。ライターだって同じだ。

もちろん、仕事にするといっても、専業ライターもいれば、副業ライターもいる。仕事にする比重は人それぞれだ。それでも、スキル(とそれによる生産物)によって対価を得る、というコンセプトは共通している。

だから、私たちはあえて「プロ・ライター」とは言わない。そういう言い方をするのはすごく特殊な状況だけだろう。なぜなら、「ライター」という言葉には、あらかじめプロな要素が加味されているからだ。

属性としてのブロガー

さて、ライターは文章を書く。

メディアから依頼された文章のときもあれば、そうでないときもある。そうでないときには、たとえば日記のようなものもあるだろうし、ブログのようなものもあるだろう。

つまり、ライターはブロガーでもありえる。それは不自然でも何でもない。むしろ、ごく自然な親和だろう。しかし、その逆は成り立たない。ブロガーだからと言って、ライターであるわけではない。

そもそも、ブロガーとはなんだろうか。その定義については、拙著で触れたので深掘りするのもなんだが、たとえば属性のようなものと言えるかもしれないし、ごく広い意味で使えば趣味__日常に寄り添う行動__の表明ようなものかもしれない。

プロ・ブロガーという言葉がある。ここではわざわざプロという言葉が使われている。プロゴルファー、プロボウラー、プロ雀士。こうしたものは、もともとそれが職業的な行いでないことが前提であるから、それを職業としている人を区別するためにプロと付けるわけだ。

プロという言葉を普通は付けないライターと、プロ・ブロガーという存在があるブロガーは、重なるところはあるにせよ、別の領域にある言葉だ。完璧な相互接続はそこには存在しない。ライターであってブロガーでない人もいるし、ブロガーであってライターでない人もいる。

ライターのスキル

それでも、両者に共通しているのは「他人が読む文章を書いている」という点だ。

ライターについては、そんなことは言われるまでもないだろう。彼(あるいは彼女)がどれだけ趣味的なコラムを書いていても、そこには他者の視点がきちんと存在している。読まれることが織り込まれている。もちろん、表現もそれに寄り添うことになる。

ブロガーだって、同じである。どれだけ日記めいたことを書いていても、それがローカルのPCのストレージではなく、Web上にアップされている以上は、他人がその文章を読むことになる。ほんとうに読まれるかどうかは別として、読まれる可能性が常に付きまとっている。

言葉には力がある。

その力は、人の心を癒す薬となることもあれば、めっためったに切り裂く刃ともなる。扱いには十分な注意が必要である。他人に読まれる文章であればなおさらだ。

だから、ブロガーはライターのスキルからどんどん学べばいい。でも、別にライターになる必要はないし、ライターを目指す必要もない。言葉の使い方の心がけを学べばよいだけだ。

さいごに

でもって、その心がけは、ブログ以外のいろいろな場面で役に立つに違いない。

情報化された社会とは、情報によって人とコネクトをつなぎ、コミットを積み上げていく社会だからだ。そのことは、早いうちに知っておくとよいかもしれない。

ちなみに僕はブロガーであり、オーサーである。その総称として「物書き」と名乗っている。地味な肩書きだが、結構気に入っているのだ。

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