Sharing is Power!

価値の発火点としての「自分」と別の場所に移動させる力

行動経済学でよく出てくる話があります。

今1万円もらうか、一週間後に1万1000円もらうか?

まあ、今1万円もらいますかね。一週間後に2万円とかだったらちょっと考えますけど、1000円くらいだったら、今もらっておきたい気持ちが強く出てきます。では、次の質問ならどうでしょうか。

一年後1万円をもらうか、一年と一週間後に1万1000円をもらうか?

これだと、なんとなく後ろの方を選択するのではないでしょうか。どっちにしろ今もらえないんだったら、少しでも金額が大きい方がいいですよね。

しかし、いろいろなものを捨象してみると、二つの質問の状況はまったく同じです。ある日に1万円をもらうのか、その一週間後に1万1000円をもらうのか。この点に違いはありません。が、結果として違った選択が出てきているのですから、捨ててはいけないものを取捨してしまったのでしょう。

それが「今の自分」という視点です。

価値の発火点

上記のような人間の選択の傾向を、「現在を過大評価し過ぎる」__今もらえることに価値を置きすぎている__なんて評価する人もいるわけですが、私はそんな風には思えません。むしろ、私は話をひっくり返したいところです。

たびたびこのブログで書いている言葉に「価値とは見いだされるものである」があります。つまり、価値とはある物事に先天的に内在する要素ではなく、他者がそうした物事に与えるもの、ということです。先ほどの例で言えば、「1000円もらう」という現象に価値を与えるのは、他でもない自分です。しかも、その問題を考えている「今の自分」です。

IMG_6332

心理的な価値を発生させているのは、「自分」です。価値の出発点は、「今の自分」なのです。だから、今の自分に近しいものは、高い価値になりますし、遠いものは低い価値になってしまうでしょう。ごくごく、当たり前のことです。不合理でも何でもありません。それを不合理だと言えるのは、あくまで他者の視点から、あるいは客観的な視点からの発言です。

二つの警句

さて、この話は二つの警句へと発展します。

一つ目は、時間的な距離(心理的距離)だけではなく、たとえば物理的な距離においても似たようなことは言えるだろう、ということ。なにせ価値を決めるのは「自分」なのですから、その自分から見て遠い場所の話は、たいした価値を感じません。

二つ目は、自分が見ていないもの__自分の視野に入っていないもの__の価値は虚無だ、ということです。先ほどあげた図では、目の前に続く道以外の部分がそれにあたります。

そうした部分は、価値がゼロなのではありません。価値というものが適用されないのです。だから、そうしたものに価値を感じている人を見てしまった場合、馬鹿にするか、攻撃するか、恐れるか、といった態度を取ってしまう可能性があります。

さいごに

知識、創造力、そしてそれをサポートするテクノロジー。言い換えれば「今の自分」を別の場所へと移動させる力。たぶん、そうしたものが虚無の暗闇に光を与えてくれるのでしょう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です