2-社会情報論

トロイの木馬としての電子書籍

前からぼんやり考えていることがあって、それは次の三つをクリアすると、電子書籍(というかKindle)って一気に普及するんじゃないかな、ってこと。

  • 岩波新書の全面的な参入
  • アクセル・ワールドの新刊が電子書籍でも紙と同時発売
  • 村上春樹さんの小説がラインナップされ、新作も早いタイミングで登場

これはまあ、条件というより指標みたいなものだ。こうした経営的ジャッジメントが出てくるということは、そこに市場規模が見込まれているということだし、逆にそのジャッジメントそのものが波及効果を呼び、市場規模を拡大させる。それがグルグル回って、どんどん普及していく。そんな感じかな。

でもまあ、これが正しいってことを主張したいわけじゃない。僕が業界を観測するときのチェックポイントみたいなものだ。「あっ、第二チェックポイントまで来たぞ」みたいな感じのね。

それに、こうしたチェックポイントを通過しようが通過しまいが、電子書籍は普及していく。それはほとんど確定事項だろう。ルート分岐はいろいろあっても、大まかなエンディングにさほど違いはない。

さて、それは悲しむべきことなんだろうか。紙の本好きとして、号泣すべき事態なんだろうか。僕はそんな風にはとても思えない。

まず確認しておきたいのは、そもそも読書という行為自体がメディア消費時間争奪戦に巻き込まれているってことだ。もちろん、どうあっても本を読む人は本を読む。それはたしかだ。逆に、どれだけ素晴らしい本があっても読まない人は読まない。それもたしかだ。で、その中間にさまざまな人のグランデーションが広がっている。

ときどき本を読む人、気になった本があったら読む人、ごくごくたまに本を読む人。そうした人たちは、読書に対する動機付けはさほど強くない。だから、他のメディアにフラッと流れてしまえば、読書量は減ってしまう。本好きとしては悲しいことだが、時代の情勢は動かしようもない。そして、全体的に見れば、読書というメディア消費行為は、不利な状況に追い込まれている。

もちろん、糸を引いているのはネットだ。必要な情報を探す行為から、空き時間をつぶすことまで、ネットは一手に引き受けてくれる。ああ、なんと素晴らしき人類のテクノロジー。おかげで電車の中では文庫本や新聞よりも、スマートフォンをいじっている人を多く見かけるようになった。

ん?

そんな昔から本を読んでる人って多かったっけ?

まあいいや。

ともかくスマートフォンとにらめっこしている人は増えた。

結構、結構。大いに結構。だって、そうではないか。なんといっても、その端末で電子書籍が読めるのだから。

いいかい。よおく考えてみよう。テレビはテレビ番組やDVDを見る。そこは「本」を消費する場ではない。でも、スマートフォンは違う。いくつかのタップで「本」を読み始められる。これはよくよく考えてみると、すごいことだ。

言い換えてみよう。電子書籍というのは、映像メディアやプッシュ型メディアを消費する人たちへのトロイの木馬なのだ。だから、うまく立ち回れば、グランデーションの狭間で、向こう側に行ってしまった人たちに「本」を届けることができる。

もう一度確認しよう。そんなものが無くても本を読む人は読むし、どうしたって読まない人は読まない。僕が今焦点化しているのは、中間地点にいる人たちのことだ。そして、そのボリュームは存外に多いのではないだろうか。

そうした人たちが「本」の情報に興味を持ち出せば、あとはこっちのもんである。なにせ紙の本しか発売されていないものはたくさんあるし、人間には所有の欲求もある。物を所有したい気持ちは、普遍的とまでは言えないが、わりと多く見られる傾向だ。それに、現状のKindleのシステムは、「本」を所有しているとはとても言い難い。読んだ本を紙で買い直す、みたいなシチュエーションもゼロではないだろう。

そう。結局の所、「本」に興味を持ってもらうことが肝心なのだ。ここで重要なのは、「読書好き」な人たちへのアピール__マーケティングと言い換えてもいい__と、そうでない人たちへのアピールのやり方はかなり違う、ということだ。

今のところ、電子書籍をよく利用する人は、読書好きの人たちだ。間違いなくその人たちは蔵書に悩みを抱えている。その点、電子書籍のあの開放感は素晴らしいものだ。でも、それは本をよく読む人向けの宣伝文句である。トロイの木馬を機能させるためには、別のアプローチが必要であろう。

もちろん、僕にそのアイデアがあるわけではない。そんなものがあるなら、今すぐ原稿を放り出して会社を興しているだろう(これは嘘だ。やっぱり原稿を書いているに違いない。たぶん内容はそのアイデアについてだろう。1600円(税別))。

現状の電子書籍とそれを取り囲むシステム(プラットフォームを含む)は、あまり出来の良いものではないのかもしれない。でも、これを一つの武器として考えると、きっといろいろ広がりが出てくるだろうし、それが閉塞感みたいなものを打ち破ってくれるかもしれない。希望的観測? まあ、そうだろう。人は希望を抱く唯一の動物なのだから、それは仕方がない。

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