2-社会情報論

宣伝についての連ツイ。

rashita120

メルマガを5年以上続けている。始めた当初は、このメルマガどう推移していくのかまったくわからなかった。人気の出る出ないではなく、どんな内容を書いていくのかすらわかっていなかった。だから、うまく宣伝できなかった。だって、どんな内容なのかわからないのだから。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

とりあえずざっくり決めた方向だけでスタートした。細かいことはやりながら考えていこうというのが、私の常なる流儀である。結果どうなったか。もちろん、宣伝できないのだからそんなに人も集まらない。当然だ。でも、とりあえず自分が面白いと思うこと、価値があると思うことを書き続けた。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

とても気前の良い人たちだと僕は思うのだけども、そういう時期でも購読してくれる人たちがいた。感想をくれる人たちがいた。もちろん、プラスの評価ばかりではない。でも、何かしらリアクションがもらえるのは嬉しかった。時給計算ではどう考えても赤字だけども、それでも続けた。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

数年続けてみて、ようやく自分がやっているメルマガがどういうものかがわかってきた。読むこと・考えること・書くことが好きな人向けのメルマガだ。最近ではそこに物を売ることについてなんかも書いている。僕の中で、それら関心は基本的に同じ方向を向いている。そういうのがわかった。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

それがわかると、こういう人たちには全然読まれないだろうけども、こういう人たちならもしかしたら楽しんでもらえるだろうというのがわかってきた。そういうのがわかってくると、俄然宣伝というのはやりやすくなってくる。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

ほとんど全ての人向けに宣伝するのは難しい。なぜなら、心の底でそこに嘘が混じっているのを自分が知っているからだ。でも、線引きができるとそういう嘘が消えていく。どうせ、すべての人に好かれるものを作ることはできない。だから、線引きするのは当然なことだし、必須なことでもある。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

宣伝について考えることは、自分が提供するものを受け取る人は誰か、を考えることとイコールだ。最初からそれがイメージできているかもしれないし、後々それがわかってくることもある。どちらにせよ、それをイメージしないことにははじまらない。そして、イメージできたなら、胸をはってやってみても良いと思う。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

もちろん、自分が提供するものに1mmの自信もないのなら、宣伝は止めた方がいい。でも、やっぱり少しくらいは「これ面白いよね」という気持ちがあるから出そうとしているのではないのだろうか。だとしたら宣伝はまっすぐ行えばいい。過大な広告や過剰な煽り文句を避けたのなら、恥じることは何もない。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

もちろん、それでもミスマッチがゼロにはなったりしない。それは悲しいことだと思う。でも、どういう形で書かれた作品でも、ミスマッチはある。結局それは宣伝が問題ではないのだ。もし宣伝を行わずにまったく誰にも知られないのなら、そういうミスマッチは起こらないだろう。その代わり、それを読みたいと思う人との出会いの可能性も削ってしまう。それもやっぱり悲しいことだ。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

宣伝については、「とりあえず宣伝しなさい」みたいに軽く言えるものではない。ナイーブなものであることはたしかだ。少なくとも、マッチの火薬ほどの自信はあった方がいいだろう。そうでないものをアピールするのは、欺瞞でしかないのだから。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

ただ、ナイーブだからといってまったく何もしないのも、少し違う気がする。「作品」はありとあらゆる意味においてあなたのものだが、でもあなただけのものではないのかもしれない。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

僕が一つ言えることは、それを受け取る人のことを考えている宣伝は、決してイヤな気持ちしない、ということだ。最悪の宣伝は、「やたらめったらな」ものである。それは回数についてではない。内容についてでもない。想像力が欠落している、ということだ。最悪の宣伝。災厄の宣伝。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

告知、宣伝、アピール。やろうと少しでも思うならやった方がいい。でも、「がむしゃら」は良くない。がむしゃらは受け手のことを見ていないからだ。必死さが伝わって報われることもあるだろうが、それが続くことはない。必要なのは想像力であり、工夫である。それは遊び心に似ているかもしれない。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

どちらにせよ、最初からうまくいくことなんてほとんど何もない。慣れるなら、つまり失敗するなら早い方が。いろいろやってみるのは、それはそれで楽しいものである。手をかえ品をかえ。声をかえ仮面をかえ。舞台をかえBGMをかえ。いろいろと、いろいろと。

— 倉下 忠憲 (@rashita2) 2015, 12月 2日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です