4-僕らの生存戦略

「私は、○○○○ではありません」

重量25kgの鉄球と、時速25kmで走る自転車があります。
さて、どちらの方が易しいでしょうか。

というのは、まったくナンセンスな質問です。比べようもないものを比べています。


ときどき、他の作家さんの業績を見ていると、気分がゲンナリしてくることがあります。

私は村上春樹さんのように超絶本が売れることもありませんし、結城浩さんのようにメルマガ読者さんもたくさんいません。森博嗣さんのように多作でもありませんし、佐々木正悟さんのように強い個性も持ち合わせておりません。こうやって書いているだけで、虚脱感に襲われそうになります。

そういうときには、現実を確認してみるのが一番です。

「私は、村上春樹さんではありません」
「私は、結城浩さんではありません」
「私は、森博嗣さんではありません」
「私は、佐々木正悟さんではありません」

当たり前です。でも、その当たり前を再確認してみると、心が少し楽になります。

持ちうるスキルも、置かれた環境も、向かうべき方向もまったく違うわけですから、そんなものを比較してもどうしようもありません。「比較する」という行為自体に、いびつな穴が開いているのです。

私は私であって、他の誰でもありません。私が為すべきことを、私が為せるだけ行えばよいのです。

先ほどの当たり前ほどすぎる確認は、その原点に帰ってくる効果があります。


しかしながら、その確認は、海の底に沈みそうになっている気分に浮力を与えるものです。「このままいっちゃうとマズいな」という状況を改善するためのものです。

底に沈みそうになっている状態でも、浮力が得られれば海面へと浮かび上がり、やがては息がつけるようになるでしょう。一安心です。でも、そのままの状態でいたら、今度は空中へと舞い上がり、どんどん上昇してしまいます。高まる意識。そして、イカロスの翼。

好調なとき、調子が良いときに、「私は私だ。特別な存在なんだ。他の人のことなんて気にする必要がない」と考えてしまったらどうなるでしょうか。これはこれで危うそうです。

「私」は所詮、大勢の中の一人の人間でしかありません。他の人と同じなのです。その気持ちが、行きすぎない調律を生み出してくれます。

ここでは、「私は私だ」という考え方は補助にはなりません。むしろ、翼を燃やすようなエネルギーへと転化するのです。


沈みすぎないでいる。浮かれすぎないでいる。それが「真ん中を歩く」ということです。

そのためには、浮かび上がる力と、地に足を付ける力の二つを持っておくことが大切でしょう。

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