5-創作文

断片作家の生涯

彼は断片作家だった。しかも超一流の断片作家だった。彼に並ぶものは誰もいなかったし、これから生まれることもない。なにせその呼び名は、彼に与えるためだけに生まれたのだ。孤高に作業を続ける彼に、世間が便宜的に付けた名前。それが断片作家だった。

30年以上、彼はそれを続けてきた。たった一人で断片を生み出し続けてきた。

彼は、あらゆるものを飲み込んだ。素材となるものならお構いなしだ。それを高性能のミキサーで切り刻んでから、断片としては吐き出す。ただひたすらにそれが繰り返された。吐き出されるものに、ジャンルと呼べるものはなかったし、カテゴライズ好きならば頭を抱え込んでいただろう。

そこには何の脈絡もなかった。何のつながりもなかった。それはセリフであり、書き出しであり、詩の一行であった。心理描写であり、情景描写であり、インスピレーションであった。

彼は自分が何を生み出しているのか、本当のところでは理解していなかったのかもしれない。ただただ押し出されるように、断片を紡いでいただけなのかもしれない。

彼にとって、それは花に水をやるような、太陽に手を掲げるような、風の音に耳を傾けるような、そんな行為だったのだ。彼は誰に誇るでもなく、誰に断るでもなく、誰に配慮するでもなく、ただ断片を生み出し続けた。

だから、これを読んでいる貴方は彼のことなど知りもしないだろう。全人口の99.9%も同様だ。彼のことを知っていたのは、唯一アーティストだけだ。オーサー、プロデューサー、プロダクター、クリエーター。なんと呼んでも構わない。何かを生み出そうとしている人間。何かを生み出すことの対価で、生計を立てている人間。そうした存在だけが彼のことを知っていた。いや、彼の生み出す断片を利用していた。

断片は、断片だ。それはアイデアとすら呼べない破片でしかない。だから、どんな法律もその生産者に権利を認めていなかった。だから、ありとあらゆるクリエーターがそれを利用した。

あるものは直接利用し、あるものはインスパイアを受け、あるものは切り貼りして使った。そして、大きな価値を生み出していった。彼らの財布は、彼らの欲望すら越えて膨張し続けた。

しかし、断片作家は何も言わなかった。そもそも、彼自身そんなものに権利があるとは考えていなかった。誰も恐れて訊くことはなかったが、もし問われていてもきっとこう答えただろう。好きにすればいいじゃないか。僕は断片を生み出す。誰かがそれを使う。そこには何の因果もない、と。

彼は何の対価も気にせず、何の名誉も気にせず、断片を生み出し続けた。そして、それを解放していった。気泡緩衝材を一つひとつ丁寧に潰していくみたいに。やがて、誰かが呼び始めた。彼のことを断片作家と。遅かれ早かれ、名前は付いただろう。実体があろうがなかろうが、認知された存在には名前が宿る。太陽が輝けば影が生まれるように、ごく自然なことだ。

不思議なことに、その瞬間から彼は作家になった。少なくとも、そう認知されるようになった。

断片作家と呼ばれるようになった男は首をかしげた。僕は何も生み出していない。何も作り上げていない。なのに作家なんて変じゃないか。当人のそんな思いは、あつらえた靴のようにぴったりフィットする名前の流通の前ではほとんど無に等しかった。彼は、断片作家になり、断片作家は彼になった。

後ろ前を逆に着てしまったTシャツのような居心地の悪さにも、やがては慣れていった。彼は呼称に自分のアイデンティティを馴染ませていった。一度馴染み始めると、むしろそうでなかった頃がうまく思い出せなくなるほどだった。それくらいその名前は彼に馴染んだ。

それでも彼は何も望むことはなかった。何も威張ることはなかった。信託を受けた巫女のように、畑を耕す農民のように、断片を生み出し続けていった。

本にすれば一体何ページになっただろうか。たとえ断片と言えども、積み重なれば膨れあがる。だが、彼はそんな仮説の計算すら拒絶しただろう。彼は構造を嫌った。統一を拒絶した。彼の中では、断片は断片であるときもっとも光り輝く。彼は、自分の何をも誇ることはなかったが、その輝きを自らの手で生み出していることには自負を持っていた。その自負こそが、作家という呼称を引きつけたのだろう。

あまたの断片が世に放たれ、その断片は彼の手から離れて構造へと取り込まれた。あるいは、統一を生み出す手がかりとなった。

不思議なことに、同じ断片を利用していても、それぞれのクリエーターが生み出す作品が重なることはなかった。それが、彼が超一流の断片作家と呼ばれた由縁だ。

彼の断片には、ほとんどすべての可能性とインスピレーションが詰まっていた。ダブルクリックする人によって、解凍されるものが異なる圧縮ファイルのようなものだ。光る目さえ持っていれば、どんな可能性でもその手に掴み取ることができた。人はそれを希望と呼ぶのかもしれない。彼はそれを断片と呼んだ。

老年にさしかかった直後、断片作家は病に冒された。質素な暮らしを送ってはいたが、健康に対する配慮は致命的に欠落していた。天涯孤独の身では、その変化に気がつくのも遅かった。ほとんど唯一とも呼べる友人が、顔色の悪さを指摘したときには、もう病院では手の施しようが無くなっていた。

床に伏せた彼に、その友人が尋ねた。死ぬのは怖くないかと。彼は笑って答えた。まったく怖くないと。

僕はもともと断片だ。それ以上でもそれ以下でもない。もちろん、生命体としての僕の体は巧妙に調整された統合システムだ。断片じゃない。でも、僕という意識はそうじゃないんだ。それはまごうことなく断片なんだ。知ってたかい。自己というのは幻想なんだよ。この不条理に満ちた世界で、理性が正常さを保つために生み出だした予防機能なんだ。その幻想があるからこそ、僕たちは前に進むことができる。でも、僕たちの本質は断片なんだよ。だから死ぬのは怖くはない。断片は決して消えないからね。位置する場所が変わるだけだ。

そう語る彼の口調は、安らかさを通り越して、ある種の荘厳さに満ちていた。

病は徐々に断片作家の体を蝕んでいった。しかし、彼はありうる限りの力で断片を生み出し続けた。それは試練のようでいて、返済のようでもあった。人によっては狂気にも見えただろう。それが彼という生き方だった。断片作家と呼ばれた男の生涯だった。

そうして彼は死んでいった。世界には、朽ち果てることのない断片が満ちあふれていた。

▼本作が収録された短編集:

The Last Blogger | 倉下忠憲

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です